小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

<未完成>

INDEX|12ページ/18ページ|

次のページ前のページ
 

 視界にある額縁の絵や吉村の顔は至って正常に見えているのに、彼らの姿だけが滲んで見える。まるで、元々ピントがボケた写真を正しい焦点距離で見ているように、彼らは、はっきりと滲んでいて、正面からスポットライトを当てられたように、眩しく光っているのだ。
 これほど光っている人間が、今までにいただろうか――。
 渡辺は微笑みながら、記憶の蔓を辿った。

 彼らのような人間の存在に最初に気付いたのは、小学校三年生の時に家族旅行で訪れた冬の金沢だった。そこで偶然、映画のロケをしているアイドルを見た時、渡辺はスターというものは〈光っている〉からそう呼ばれるのだと勘違いをした。
 彼女は明らかに輝いていた。
 ベンチコートを羽織り暖かい飲み物が入ったカップに唇をあて、スタッフと談笑している彼女の肌が、柔らかく滲んで見えた。声を出して笑うと、その光はより強くなった。渡辺にとって彼女は言葉通り、それまでに見た誰よりも輝いていた。
 そのことをきっかけに、渡辺はスターに興味を持つようになった。歌番組や青春ドラマに夢中になり、アイドル雑誌や映画雑誌を買い集めた。地元で芸能人の来るイベントがあれば、親にねだって見学に出かけた。しかし、彼女ほど輝いている芸能人はもう見られなかった。
 中には、まるで光を放っていないスターもいた。
 スターと呼ばれるのは、体が光るからではなかった。彼女だけが、希少な〈本物のスター〉だったのだ。
 中学生になって女子を性的に意識し始めた頃、渡辺は上級生に恋をした。相手は二年生で、長いスカートを履いた不良少女だった。
 彼女は、遠くから見ても分かるくらいに、眩しく輝いていた。
 少年にとって一年の年齢差は絶望的に大きく、彼女はどう頑張っても手の届かない大人でしかなかった。彼女がもう処女ではないという噂に、渡辺は密やかな欲情を抱いていた。彼女は卒業すると、ありふれた田舎の不良グループの一員になり、十七歳で自死した。
 光っている少女を見付けて、光っているうちに本物のスターにする。そんな人間が必要なのではないか。初恋の完全な終わりを知った時、思春期の渡辺はそう思った。
 渡辺は成長し、自分の性欲の対象年齢以外の女性にも、男性の中にも、スターがいることに気付いていった。
 光っている人間は、芸能人ばかりではない。野球選手にも、怪しい実業家にも、浮浪者の中にも、そのような人間はいた。成功者はその自信と共に輝き、浮浪者には哲学者のような不思議な光が感じられた。
 二十歳を過ぎる頃、渡辺はこう考えるに至った。彼らは一定数存在している生まれながらに選ばれた者たちだ。しかしスターとして生まれた者が、社会において必ずしも脚光を浴びるわけではない。その多くは、自分のタレント性に気付きもしないまま、歳を重ねて埋もれていくのだ。
 渡辺の知る限り、彼らの光を認識出来るのは渡辺一人だけだった。友人も両親も妹も、親戚中に質問しても、人間が文字通り光って見えた経験を持つ者は誰もいなかった。
 大手メディア企業の就職試験に全て落ちた後、それは当然の結果だと納得出来た。面接では爪痕のひとつも残せなかったからだ。スターを見抜く才能があると自己アピールしたところで面接官に信じてもらえるはずもなく、英語を話せるだけの学生は他にいくらでもいた。しかも、平成のバブル景気は数年前に終わっていて、渡辺の世代は就職氷河期世代と呼ばれていた。
 そうして渡辺はキャスティング会社に入り、求められる範囲内の仕事をこなしながら、価値があると認めた作品に対してだけ、光を感じるキャストを推した。推したところでキャスティングディレクターに最終的な決定権はなく、凡人の監督や凡人の広告代理店が凡人のキャストを選ぶ度に、少しずつ渡辺は、人間が嫌いになっていった。
 凡人のいない世界で仕事をしたい――。皮肉にもそう強く願う渡辺自身が、何の光も放たない凡人だった。笑顔で隠した渡辺の心は選民意識と劣等感の間を大きく行き来しながら、人知れずバランスを保っていた。
 仕事は上手くいかないことばかりではない。幾つかの業績が認められ、優秀な製作者や芸能事務所から信頼されるようになった。街で特別な少女を見かけた時には大手芸能事務所の役員に連絡をし、スカウト担当者が合流するまで未成年者を尾行することもあった。その少女達は、かなりの確率でスターになった。そうした仕事を重ねることにより、幾つかの芸能事務所からスカウト部門の役員としてヘッドハンティングされたこともあった。しかし渡辺は、その全てを固辞した。凡人達に使われるよりも、自分の会社を起こしたかった。二人目の子供がまだ二歳にもならないタイミングでの独立には、かなりの勇気が必要だった。妻は現状維持による生活の安定を望んだが、渡辺は自分の決断を押し通した。目利きのプロとしての強い自信が、不安な気持ちを打ち負かしていた。

 吉村が名刺入れを取り出そうとバッグの口金を開けながら、渡辺からの紹介を待っている。渡辺は微笑みながら、それに気付かない振りをした。
 Mr.HAIRとMr.MAKEは、組んだ指をゆっくりと解いた。二十のリングが細胞分裂するように離れていく。それぞれの右手がそれぞれの唇に触れて、二人は静かな音楽を聴くように目を閉じた。
 渡辺は彼らの思考を邪魔したくなかった。彼らは明らかに特別な存在で、自分や吉村のような凡人とは生まれながらに格が違うのだ。彼らが会いに来たのは日本の若く美しいスターであって、凡人の現場マネージャーではない。自分の役割をわきまえず、立場だけを見せ付けて来る人間は、この部屋には必要とされていない。
 さあ、始まる。
 Mr.HAIRとMr.MAKEが閉じていた白い睫毛を同時に開き、同じ角度だけ内側を向いた。ただそれだけの仕草で、渡辺は〈彼女〉の登場を察した。
 ドアはノックされ、名刺入れを手の中に隠した吉村が扉を開ける。体のサイズにぴったりと合ったダブルのパンツスーツを着たレズビアンの社長が現れ、その後ろから強い光が射した。渡辺の視界の隅で、Mr.HAIRとMr.MAKEが静かに立ち上がる。
 人間が、嫌いだ。
 なぜ、凡人達にはこの光が見えないのだろう。
 レズ社長の背後から、日食が明けていくように〈彼女〉が現れると、渡辺は眩しさに目を細め、いつもより余計に微笑んでいるような顔になった。




 部屋に入った瞬間、眩しいと感じた。
 顔や、首や、手や足首。洋服から露出した肌の部分が奇妙に光って滲んでいる自分の姿――。特殊なフィルターを通して見たような自分の像が、頭の中に飛び込んで来た。
 それが誰の思考からやって来たものなのか、ミコにはすぐに判った。イメージの主は麻薬でもやっていそうなぐらいにうっとりとした表情で自分を見ている中年男で、彼が一歩近付くと、発光する自分の分身も一歩分近寄って来る。初めて体験するこの特殊なイメージは、彼の主観映像が誇張されたもののようだ。
作品名:<未完成> 作家名:新宿鮭