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<未完成>

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 女装した赤い髪の老人が、ぬっと顔を近付けて言った。
「あなたあれね。あれなんでしょ?」
 ミコは「はい、そうです」と答え、そのことで老人が少しだけ不機嫌になるのを感じた。
「あらやだ。まだわたし何も言ってないけど。ほら、あれ、あなた話題のCMに出てらっしゃるんでしょ?」
 老人は赤いマニキュアを塗った爪の先で空中に何かを書くような仕草をした後、諦めて「あなたあれ、何でしたっけ?」と言った。
「やわらかつんつんです」
「そう、それ。あれで一躍有名になられて。それであなたあれなんですって?」
 老人の顔は強烈なフットライトで照らされていて、その背景には鳳凰をモチーフにした極彩色のセットが光っている。老人の隣では中堅のお笑い芸人が、司会進行役として合いの手を入れている。
「またまたぁ〜、あれじゃ分かんないですよクイズ番組じゃないんですから、ねえ、ミコちゃん」
 少し困っているような笑顔を意図的に浮かべて、ミコは曖昧に頷いた。
 本当は――、全部分かっている。
 芸能界で長く一線にいられるのには理由がある。老人が言おうとしているのは「あなたいま日本を代表する俳優さんと一緒にドラマにご出演されてるんですって」で、思い出せていないのは俳優の名前だ。老人が斜め上を見て考えている。その虚空には、ほくろの位置まで正確に再現された国民的人気俳優の顔が浮かんでいる。
「そう、あの人。有名な人。あの俳優さんといっしょに、あのドラマに出てらっしゃるんでしょ?」
「あの俳優さんにあのドラマじゃあ、ミコちゃんがこの番組に出てくれてる意味がないじゃないですか。もう勘弁してくださいよ〜」
 お笑い芸人が椅子から転げ落ちて場を和ませ、そのまま番宣を兼ねてドラマの概要を説明し始めた。
「てなわけでもうこれは局の社運を賭けたすんごい期待のドラマなんですよ。っていうか、なんでいつの間にか僕がミコちゃんの代わりに番宣しちゃってるんですか、もう勘弁してくださいよ〜」
 観覧席を埋めた行儀の良い観客達が、暖かく笑った。
 老人はじっと、霊視でもするような目でミコを見ている。
「あなたその初めてのドラマ出演でずいぶん難しい役をされているんですって?」
 テレビドラマは、すでに三話分の撮影が終わっている。主人公は元暴走族の高校教師で、ミコは性同一障害で不登校の生徒を演じている。
「はい、難しいです。皆さんにご指導いただきながら何とかぎりぎりでやってます」
 やわらかつんつんとはまた極端に違うところに行きましたねえ、とお笑い芸人が言うと、また会場が湧いた。笑い声は編集段階で追加され、効果音やテロップをふんだんに入れてテンポ良く編集され、年明けのドラマ放送開始のタイミングに合わせてゴールデンタイムの茶の間に流れる。
 赤い髪の女装老人はスピリチャルな能力を持つことで知られ、芸能界のご意見番としての地位を何年も保っている大物芸能人だ。老人がゲストの夢や悩みを引き出して、時には適切な助言を与え、時には錯乱して叱りつけるのが、この「浄化するわよ!」という番組の基本構成になっている。ゲストは毎回二人で、別の番組の告知宣伝を兼ねた今回のミコのような「ホワイト枠」が一つ。他の一枠は、主に何らかの問題を起こして世間を騒がせた有名人から選ばれる「ブラック枠」だ。
 まだ数本のCMと、CMから派生した短尺のウェブムービーぐらいしかメディア露出のないミコが、この人気番組に出演出来たのは、制作者も意図しなかったような勢いで歯ブラシのCMが大ヒットしたからだ。世界的なセレブとして知られるアメリカの男性アイドルが、「一度見たらなぜかやみつきになる動画」とSNSで紹介したことで、それは世界中に拡散され、何倍もの波になって日本に戻って来た。動画投稿サイトの閲覧数が世界の月間トップになると、ミコの歌とダンスをコピーした二次作品が無数に現れ、一般人に混じって多くの有名人達が自分のバージョンを発信するようになった。スウェーデンの航空会社のCAや、韓国のアイドルグループ、アメリカの大統領の孫までが無名の日本人を真似て踊った。期せずしてミコは世界に注目される存在になり、仕事の依頼が殺到するようになったが、出演する番組は所属事務所社長の感性によって厳選され、戦略として露出を限定されている。
 この番組にはちゃんとした台本があり、質問の内容も答えも、全て予め決まっている。
 お笑い芸人がボードを指し、声を張り上げた。
「あの歌は完全な生歌だった!」
 CMやミュージックビデオの撮影時、通常は仮の音楽をプレイバックしながら口パクで撮影した映像に、改めてスタジオで録音した音楽完パケを重ねるのが一般的な制作方法なのに対して、あの作品は敢えて口パクにはせず、生歌を録音しながら撮影された。そのことが、まず紹介される。台本の初稿には、ミコがCMの歌とダンスを披露するくだりがあったが、所属事務所社長によって拒否された。出身地や家族構成を公表していないミコには番組の演出に都合の良いエピソードが少なく、センター試験のニュース映像がスカウトのきっかけになったという逸話がコーナーの見せ場になったが、その時の実際の映像が紹介されることはなかった。収録は台本をなぞるように進んでいき、発売されたばかりのファースト写真集の告知がされた。
 台本の最後は、「以上のエピソードを踏まえて総括!」の一文で終えられている。
「浄化するわよ」
 老人が、無慈悲な表情で言った。不気味な効果音が鳴り終わるまで、緊張感をたっぷりと含んだ沈黙が続く。
「あなたあれね。化け物ね」
 どっちがですか! と、絶妙なタイミングで芸人が立ち上がり、観覧者とスタッフから笑いが起こる。
「もう勘弁してくださいよ〜」
 老人は、にこりともせず、身を乗り出した。
「この娘は怪物よ。憎たらしいほどちゃんとしていて失敗しない。模範解答しかしない優等生みたいなんだけど、目の奥にわたしでも見たことのない何かがあるの。あなた表現者としては成功すると思う。でも今のままじゃつまらない。何にでもなれる器用さがあるくせに、自分がどんな風に見られているかばっかり気にしてオリジナリティーがないの。でもそんなこと、この娘はすぐに自分で気がつくわ。気付いたら、そこから先が本物の怪物に向かう高速道路よ。見て。この娘の今の顔。呆気にとられてぽぉーっとしてるけど、こんな素の顔が見られるのは今だけよ。嫌いじゃないわ。おかまにも好かれるタイプね。この娘はたぶん、とんでもないスターになるわよ」
 司会者が「何を言い出すのかと思ったら、結果褒めてるじゃないですか」と場を和め、コーナーを締めるタイミングを待つ。
「どう? すっきりした?」
「はい……、なんか気持ちいいです」
 老人は、じっとミコを見ている。
 老人の古い眼球を通して、ミコは自分の姿を見ていた。
 それは怪物でもスターでもなく、少しだけピントがぼけている、見慣れた自分の顔だった。




 人間が、嫌いだ。
 ほとんどの人間は、自分のことしか考えていない不快な害虫だ。
 渡辺綱一は、いつもそう思いながら、温厚そうな笑みを浮かべている。
「次の現場入りまで時間がないんで、十五分で終わってもらっていいですか」
作品名:<未完成> 作家名:新宿鮭