聞く子の約束
第19章 けじめの無い終わり方
後に気付いたことだが、大学3年間の中で僕以外に彼女のことを「キクちゃん」と呼んでいた者はいない。もっとも僕がそう呼ぶのを聞いて真似て呼ぶ友人もいたが、彼女に面と向かってそう呼べる訳ではなかった。
なぜ彼女が僕にだけ「キクちゃん」と呼ばせたのか分からないが、彼女が幼く見えるので、友人など周囲から年下扱いされることが多く、家族からも一番下で呼び捨てだったようだ。それで、(僕には、お姉さんぽっく接したかったのだろうな)と思い、(多分それまでの恋人も、皆年上だったのだろう)と想像した。
大学生活も残り少なくなった頃、30歳を前にしたキクちゃんに、お見合いの話が来た。その話を聞いて僕の胸は少なからず痛んだ。相手は公的な機関の職員だったと思う。はじめは断ると言っていたが、ずーっと前から悩んでいるようだった。自由奔放な彼女でも芯は冷静で思慮深いので、知らない人と結婚となると、それは難しい気持ちになるだろうと思った。
卒業すればキクちゃんとの関係も、今までどおりには行かないだろうと思っていたし、卒業間近のタイミングで、相手からお見合いの話が出ると、(お互いに終止符を打ちやすいのでは?)と思って納得するようにした。好きなドラマが最終回を迎えたような気分だった。
今になってそのことを思い出して、(そんなことは絶体にあり得ないが)もし僕が、
「お見合いしないで! 卒業したらプロポーズするから!」
と言ったらパート2はあっただろうか。・・・あり得ない。あり得ない。
僕は無事大学を卒業できた。
キクちゃんのおじいさんである総長先生主催の卒業を祝う晩餐会では、テーブルマナーの講習があった。きっとキクちゃんはこういうことを重視する家庭の人なんだと思った。
その日はキクちゃんも出席していたが、話す機会はなかった。遠くのテーブルに着くキクちゃんの姿が、僕の最後の記憶になった。
それからキクちゃんとは一度も連絡を取っていない。英検準1級のヒヤリングテストも、なぜか気が重くて再受験しなかった。キクちゃんはどう思っていただろうか。
そのうちに、そのうちにと思っていると、ただ日が過ぎて、キクちゃんとの微妙な関係は、奇妙な関係のまま終わった。
こんな終わり方じゃ納得がいくはずもなく、彼女とは本来の関係、大学職員と学生のままで、初めから何もなかったくらいに考えたかった。いや、思いを断ち切るために、出会いさえ無かったことにして、忘れることにしてしまったのかも知れない。