聞く子の約束
第11章 軽いお誘い
3回生の冬のある日、自分たち二人の関係を思い知るでき事があった。当時、アルバイトで塾の講師をしていた僕は、夜10時頃帰宅したら、母から
「森山さんという女の子から、電話があった」
と告げれた。キクちゃんに違いないが、このようなチャンスは見逃せない。それに彼女の性格からして、親に心配させてはいけないので、自宅に電話をかけてくるはずがなかった。僕は不安に思い、すぐに自宅マンションの電話にかけたけど、彼女は出なかった。携帯電話の無い時代なので、とてももどかしい時間だった。しかし、10分ぐらい後に電話が鳴って出てみると、やはりそれはキクちゃんだった。
「ヒロ君? 今、友達と飲んでるんだけど、出て来れる?」
軽いお誘いでほっとした。翌日は平日で授業もある。こういう場合はいつも、教科書を持参して飲みに行くことにしていたけど、キクちゃんとは泊まりになるはずが無いので、手ぶらで出かけた。
店の場所は有名な飲み屋街だったが、行ったことの無い店で探すのに苦労した。ようやく電話で聞いたビルを見付けて、エレベーターでその階に行くと、ドアが開くなりワンフロアーすべてが店内で、いきなりウェイターが待ち構えていた。その雰囲気に僕は少し緊張した。そのとても広い高級そうな店内では、正面にステージがあり、何やらショーが行われていた。テーブル席は横列で、客は劇場のようにステージに向かって座る形だった。
その店の中央付近に、キクちゃんら五人のグループが陣取っているのを見付けた。近付いて行くと、キクちゃんに手招きされ、彼女の左隣、グループの中央に入れられた。
「この子がヒロ君。ヒロ、ちゃんと挨拶しなさいね」
(えっ? 呼び捨て?)
このように、優しくお姉さん口調で言われ、ソファシートに座って僕を見上げている方々に、僕は丁寧に挨拶をした。
キクちゃんは友達から「キッコ」と呼ばれていた。気心の知れた関係なんだろうと思った。僕はキクちゃんの友達なら、きっと素敵な人たちだと、勝手な想像をしていた。その中には既婚者もいたけど、 僕には全員がとても下品に見えた。もうかなり飲んでいる様子で、テーブルも散らかっていた。
席に座るや否や、周りのお姉さん方は、僕をいろいろと質問攻めにしながらからかい始めたが、僕は調子よく話をしながら、キクちゃん仕込みの作法で、テーブルを整理しつつ、水割りを作って給仕した。