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六戸はるか
六戸はるか
novelistID. 59422
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空色のリュート

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その後彼女は耳の聞こない悲劇のリュート弾きとして名を馳せ、巨大な王国の王宮に召されて一生を終える、といった物語を語る語り部もいるそうだが、ここでは別の物語をつづることにする。何の華もないとても静かな物語だ。
地上に降り立ってから五十年余り、その間ずっとリュートと共に旅をして老婆となった空の子は、その晩年を旅商人の男の家で過ごすこととなる。


「おはよう。ほら見て、今日もいい天気よ」
そう言って寝室のカーテンを開けたのは男の一人目の娘だ。幼くして死んだ次女を合わせると五人の娘に恵まれた男とその妻は、四人の娘を遺して一足先に他界している。どうせあの男のことだから今でも風に乗って色んな街を見て回っているに違いない、それとも死んだあとくらい奥さんとゆっくり暮らしているのだろうかと、そんなことを考えながら老婆の日々は過ぎていく。
歳を重ねるごとに旅の範囲は狭まり、自然と拠点はいつも世話になっている男の家がある街になっていた。そして足が悪くなっていよいよ旅も諦めようかというとき、長女が老婆の面倒を見ると言い出したのだ。それにはさすがの彼女も驚いた。そんなことをする必要はない、自分の世話ができなくなったらそのまま勝手に死ねばいいのだと伝えると、「そんな縁起でもないこと言わないで頂戴!」とこっぴどく叱られた。その後も「父さんと母さんに顔向けができない」「タダが嫌なら代わりにリュートを教えてくれ」と何度も頼まれてしまいには「死んだ妹に怒られる」だなんて弱いところを突かれれば、自分の娘のようにかわいがってきた子なのだ、断るすべなど持ち合わせていなかった。
旅をあきらめて以降、長女に教えるとき以外に老婆はリュートを弾いていない。それでもどんな時も彼女の心の奥には空色の音が溢れていた。いったい誰が弾いているのだろう。いったい誰が自分を空に帰さないようにしているのだろう。そんなことを思いながら老婆は部屋の小窓を見上げる。この部屋から見える空は四角く切り取られたたった一片のくすんだ青だけだ。
「私は本当に帰りたかったんだろうか」
小さな呟きが聞こえたのか、長女がどうしたの、と老婆を見る。
「なんでもない。こっちの話だよ」

ある夏の朝、いつも通り老婆を起こしに行った長女は、彼女が息をしていないことに気が付く。眠るようにして息を引き取った彼女の手には、なぜか真っ白な浜木綿の花が握られていたという。

*******

賑やかな市場の真ん中で噴水の周りだけが静まり返っていた。物語の終わりを告げる音が一つまた一つと青空の下に落とされていく。
「これにて物語はお終いにございます。空の子の魂が空に還れたのかどうかは私の語るところではございませぬ。ただ最後に一つだけ。私にこの物語を教えてくれた人が最後に必ず語り掛けていた言葉がございます」
ピン、と張り詰めた音に男も一瞬息を止める。そして緩やかに語り掛けた。
「浜木綿を見たら思い出してみるといい。足を止めて空を見上げてみるといい。心から音が溢れだすかもしれない」
惚けようにして聞いていた子供たちが誰ともなく空を見上げる。遥か孤高の青い空が幼い瞳に映り込む。
最後の音を静かに奏でた男は、割れんばかりの喝采に空色の瞳を細めて微笑んだ。
作品名:空色のリュート 作家名:六戸はるか