究極的教育社会の例
ママはそれを受け取り、仕方なくすぐさま車に乗り、それを上層部に直接届けに行った。その時、一人の男がついて来ているのに気が付かなかった。赤い車で走るママの後ろをピタリとつけて来る黒いワゴン車に。男は、ママが外観を煉瓦で覆った瀟洒な建物に入って行くのを見届けると、すぐさま携帯でT美に連絡した。
ママが役員に署名を提出しているところに、後ろから警備員たちが、
「帰りなさい。帰りなさい。入らないで。」
と叫ぶ声が聞こえた。ママが振り返るとT美を先頭とする100人ほどの父親、母親たちが建物の玄関から、今ママがいる役員室までを埋め尽くして、警備員を押しのけようとしながら役員の方へ方へと出ようとし、押し合いへし合い、
「捺印しろ。捺印しろ。」
と叫んでいた。
「究極的教育社会反対!はんたい!」
手荒な取引の経験がないこの役員はなす術なく、捺印してしまった。
署名の声明はこうだ。
究極的教育を取りやめ、子供たちを親の元に帰す。
かくして、子供たちはそれぞれの生物学的な両親のもとに帰された。
親たちは帰ってきた我が子をこれ以上ないほど可愛がり甘やかした。何故なら、究極的教育委員会が後から「子供が校舎に帰りたいと言ったらただちに帰すこと」という条件を付したからだ。親たちはこの条件に抵抗したが、委員会から
「あなたたちは自分たちの我欲の為に子供を手元に返したのですか?子供たちの為ではないのですか?子供たちの気持ちが最も優先されるべきでしょう。」
と言われたので、やむなくこの条件を飲んだ。
子供に本が欲しいと言われれば親たちはすぐに買った。
博物館に行きたいと言われればすぐに連れて行った。
望遠鏡が欲しいと言われればすぐに買ってやった。
お小遣いはいくらでも欲しいだけやった。
お菓子でもジュースでもなんでも好みのものを食べさせた。
遊園地にでもテーマパークでも休日のたびに連れて行った。
おもちゃも買ってやった。
しかし、貧しい家の子はおもちゃもテーマパーク行きも手に入らなかった。
勉強はしなくてもいいと言った。
嫌なら就職しなくていいと言った。
でもそれも、お金がある家の子に限ってのことだった。
楽しいことだけ、楽なことだけしていればいいと。
何も心配いらないよ。お父さんとお母さんがいくらでも可愛がってあげるから。
J子もT美とは別のれっきとした遺伝子的な両親のもとに帰された。両親のH実とY男はセダンのワンボックスカーでJ子のいる校舎に迎えに行った。J子は素直な聞き分けのいい子だったので、ママとの別れを涙を流して惜しみつつも両親に「これからお世話になります」と頭を下げた。それを見た両親は「なんてよくできた子だ」「私に似たからだ」「いや、わたしに似たからだ」と言った。そして、J子に
「これからもっといい生活が待っているよ。なんていったって、君専属のパパとママがつくんだから」
と頭を撫でててやった。J子はそれを嬉しく思ったが、その言葉に甘くべたべたしたものをうっすらと感じ取った。ワンボックスカーの中では、ひたすら話しかけられ、ちやほやされた。
―何が食べたい?何でも言ってね。お部屋は淡いグリーンの壁紙にしてフランス人形を飾って、本もテレビゲームもマンガ本もたくさん揃えてあるし、あなた専用のコンピュータもあるけれど、足りないものがあったら教えてね。今までいっしょにいられなくてあなたの好みを知らなくてごめんなさいね。怒涛の言葉がJ子の脳を砂糖水に漬け込んだみたいに溶かした。
J子が勉強していると「無理しなくていいのよ」と言われた。しかし勉強しなくなって学校のテストで30点を取ると、「勉強しなさい」と言われた。スナック菓子ばかり食べていて、まともな食事を摂らなくなると、菓子を買うための小遣いを減らされた。不機嫌にしていると気まぐれに買い与えられた。J子は行動の是非を善悪の価値観ではなく、親の顔色に置くようになった。H実は「女の子はふんわりとまあるく生きなさい。勉強が出来すぎるのも、出来なさすぎるのもダメ。理屈っぽくものを考えるのもダメ。誰かに大事にされるような人間になりなさい」と言った。J子は考えなくなった。
5年経つと、子供たちに変化が現れた。
まず、以前と比べてもわかりやすい、一番著しい、しかも数字に表れる変化は、学力の低下だった。学科テストの平均点が30点、知能テストの平均点が20点以上も下がった。
思春期の不適応行動が顕著になった。しかも、思春期前の子供たちも「いじめ」と呼ばれる行動をとる子が続出し、苛められた子は不登校、鬱、極端な時は自殺に至った。いじめはいじめの連鎖を招き、いじめた子の言い訳は「世の中は不公平だ」「僕は不当に扱われた」であった。周囲にとって脅威的で独善的、恐怖をもたらすような子供が、子供たちの人間関係の中で幅を利かせるような状況がよく見られるようになり、そういう子と徒党を組めない、しかも人の気持ちを慮ろうとするような人の「いい子」は損をし、傷つけられた。
少年犯罪は格段に増え、特に貧しい家の子は家出を繰り返し、女子は売春、男子は覚せい剤の売人をする青少年が珍しくなくなった。
子供たちは自分の為に努力するという事を忘れ、誰かから与えられることばかり望み、刹那的な愉しみに溺れて行った。お小遣いと限度のない就寝時刻と限度のない門限と携帯ゲームにスナック菓子、何も生み出さないくだらないお喋りにしか意識は向かなくなった。甘えた人間性は誰かを傷つける愉しみを求めた。頭と心の深い認識で感じ取る、読書や芸術、学問を理解できなくなった。親たちはそんな子供たちを修正しようとした。しかし子供たちは、その時次第であちこちに転ぶ、親たちの子供たちに対する態度の方向性のいい加減さにうんざりしていたので、再び耳を傾けようとはしなかった。それに一度怠けることを知った心を元に戻すのは容易ではなかった。
J子は友人の家で自分の両親に対する不平不満を吐き出していた。
「あの親父超ムカつく。夕食の時間までには家に帰りなさいって言うから、誰がこんなまずい飯の為にさっさと帰って来るか、って言ってやったら、ご飯茶わん投げつけるの。それで笑えることにその後、私の部屋に来て、『さっきはすまなかった。今日は夕食食べられなかっただろうから、これで今度好きなものを自分で買ってきて食べなさい』って言って一万円札渡すの。だから今日は私のおごり。イエーイ。」
友人たちはJ子の一万円札で買ったチョコやつまみ、ビールで乾杯した。
「親って本当滑稽だよね。自分の与えるものの中で生きてくれるのならば、子供が自分で料理したり洗濯したり面倒な事はしなくていいって言うんだもん。それで大事にしてやってる、なんて。私ら子供にしたら、望んでもいないのにあんたたちのルールで、あんたたちの家で暮らしてやってるんだから、その分最大限に小遣いも何もかも与えてくれなきゃ。」
「そうそ。そう思わなきゃやっていけないって。」
「まあ、究極的教育委員会がむかし出した条件のおかげで、親との交渉はかなり有利になってるけどね。」
「何それ?」