究極的教育社会の例
究極的教育社会の例
「?子ちゃん、今日は何冊の本を読めました?人文科学ですか?自然科学ですか?」
6才の?子は、答えた。
「6冊です。ママ。中東の歴史の本を読みました。」
ママと呼ばれた女性はさらに別の子に、今度は、15才くらいの少年に声を掛けた。
「T君、抽象画と風景画は完成した?展覧会まではまだ少し時間があるから大丈夫だけれども…。」
「終わったよ、ママ。」
さらに、10人、20人の子供たちに「ママ」は声を掛けた。声を掛けられた子供たちは極めて好意的に返事をし、最後には「ママ」と言った。
子供たちは、全員が「ママ」がお腹を痛めて産んだ子供ではない。いや、むしろそういう子は、この場に一人もいない。里親制度を利用して引き取った「ママ」の継子たちという訳でもない。
「ママ」は、日本究極的教育委員会が発行している国家資格を有する「子供を養育する権利をもつ」人間だ。便宜的に女性の場合は「ママ」、男性の場合は「パパ」と養育対象から呼ばれることが多い。
子供たちを生んだ生物学的な親は、母親が子供を出産してすぐ、子供から引き離され、その後子供の顔を見ることはない。それでも子供の出生率がここ数年保たれているのは、第一に「自分の遺伝子を後世に残したい」という欲求と、第二に、子供を産むことで支給される手当が目当てだと、専門家は分析している。
子供たちは8歳までが夜9時までに就寝しないといけないと決められている。礼儀正しく順番に、ママに「おやすみなさい」と言って、各自の部屋に入る。15分後にきちんと部屋を暗くして、ベッドに入っているかのチェックが入るが、大抵の子はおとなしく寝静まっている。究極的教育を受けて、身勝手な価値観、論理の通らない理屈、間違った健康管理、いい加減な栄養バランスの食事を押し付ける親のもとではなく、完璧で健康的な心身教育、最高の教育理論に基づいた子供たちがのびのびと、かつ最も効率的に自身を伸ばしていける体制のなかで育った子供たちは、ほとんどが賢く優しく、道徳的、かつ倫理的だ。9歳以上の子供たちは各々が、雑誌を開いたり、漫画を読んだり、顕微鏡を覗いたりして自由に過ごしている。
論理的な子、芸術面の才能が優れている子、運動神経の良い子、数字に強い子…と、誕生時の遺伝子検査と、定期的なテストからその子の才能を調べ上げ、それに基づいて子供たちそれぞれを、各自が最も自分を生かせる方向に伸ばしていく。これといった才能のない子がいるが、そういう子は特に注意して可愛がり「可愛い子」「いい子」へと誘導する。実はそういう子はかなりの数いるのだが。協調性を持つ、相手の気持ちをよくくみ取る「いい子」が損をしない社会に、「いい子」を蹴散らす「悪い子」がいない社会に、この子たちが大人になるころはなっているだろう。そのための「究極的教育」でもある。
窓ガラスにママの知らない大人の顔が見えた。何か呼びかけるように、名前を呼ぶように、何度も同じ形に口を開ける。
ママは呆れたように冷たい視線を投げると、校舎の玄関へ行き、二人いる警備員の内の一人に、
「A(アー)室の窓の前に誰かの親らしき女性が見えるわ。すぐに追い返して、二度と来てはいけないと強く言っておいて。」
と強く言い放った。
子供たちは親の顔を知らない。しかし親がいなくても平等に与えられる平和と何不自由ない生活を子供たちは送っている。だから、親に会いたいという子は全くいないと言っていいほどなのだが、親の方は違うらしい。自分の生んだ子供に付けられた名前も、入れられた校舎も知らせていないのに、親たちは興信所を使い、子供の居場所を突き止め、その顔を見ようとする。興信所に高いお金を払って得られる情報にどれほど信ぴょう性があるとも思えないのだが。なぜなら、親は子供の顔をほとんど見ずに、赤ん坊のわが子から引き離され、母親は産後一週間別室に閉じ込められて出産後の疲労回復に務めさせられるから、興信所がどんな間違った情報を提供しても、親たちにわかりっこないのだから。
しかし昨今そんな親たちの声が拡大している。ママはそれを一つの懸念としていて、50年続く究極的教育社会の歴史の存続と発展を危ぶみつつも、これからも続くようにと願っている。
母親T美の公園での演説は先ほどから一時間半あまり続いている。
「我々親たちが子供たちに特別な愛情を施さずに、子供たちが健全な成長を遂げられるでしょうか?母親は子供を産む道具ではありません。子供に自分が親にとって特別な子供、私たちにとってかけがえのない宝なのだと教えるためにいるのではないでしょうか?横暴な日本究極的教育委員会から親の権利を奪還しましょう。」
T美が一息つくと、集まった父親や母親たちが「そうだ、そうだ」と声を上げた。
「子供たちは親を必要としています。」
T美の声は天に昇った。
ある朝、ママが点呼を取ると、中学生のJ子がいないことに気づいた。
「Jちゃん?J?」
校舎のどこを探しても見当たらない。5階のトイレを探しているときに、事務員が不安な表情で
「お電話が入っているのですが…。」
と伝えに来た。
「何の電話?誰から?」
「Jちゃんの母親だそうです。」
すぐさま、事務室に向かい、電話を取った。
「もしもし、わたくし、Jの母親の?坂T美と言います。J子は返してもらいました。もともと私のものですものね。それで…。」
ママはT美の言葉を遮った。
「J子さんはあなたのお子さんではありませんよ。」
「嘘、おっしゃい。ちゃんと調べさせたんですからね。」
「どうやって調べましたか?」
「興信所とか私立探偵とか知らないの?」
「存じております。その興信所とか私立探偵がどうやって調べたか知っていますか?」
「それは…。」
「彼らの多くは虚偽の調査結果で報酬を得ています。信頼性の足るものではありません。」
一瞬の沈黙の後
「ふんっ。だからって、J子はあなたたち国家のものではないわ。私の子として育てます。」
「国家のものです。国家の大切な財産です。」
「うるさいつ。うるさいっ。うるさいっ。」
続けてT美は意味の分からない言葉をまくしたてた。かろうじて聞き取れた意味は「私たちの署名と声明を日本究極的教育委員会に提出しなさい」というもの、そうすれば「J子は一旦返す」というものだった。
ママはすぐさまこの事態を上層部に伝えた。手続き重視の公務員思考の上層部は、無理やり子供を連れ去られたという事態に恐れおののき、「署名を受け取る」と言った。ママの懸念は一層拡大した。
ママのいる校舎にT美は直接署名を届けに来た。T美はママを玄関から呼びつけた。
「わたしたち一般市民には日本究極的教育委員会がどこにあるかも伝えられないから、あなたが責任もって上に提出しなさいね。今すぐに持って行ってちょうだい。今すぐよ!今すぐ。上に提出したら私の携帯に連絡して頂戴。首をながーくして待っていますから。」
と一言添えて。
「?子ちゃん、今日は何冊の本を読めました?人文科学ですか?自然科学ですか?」
6才の?子は、答えた。
「6冊です。ママ。中東の歴史の本を読みました。」
ママと呼ばれた女性はさらに別の子に、今度は、15才くらいの少年に声を掛けた。
「T君、抽象画と風景画は完成した?展覧会まではまだ少し時間があるから大丈夫だけれども…。」
「終わったよ、ママ。」
さらに、10人、20人の子供たちに「ママ」は声を掛けた。声を掛けられた子供たちは極めて好意的に返事をし、最後には「ママ」と言った。
子供たちは、全員が「ママ」がお腹を痛めて産んだ子供ではない。いや、むしろそういう子は、この場に一人もいない。里親制度を利用して引き取った「ママ」の継子たちという訳でもない。
「ママ」は、日本究極的教育委員会が発行している国家資格を有する「子供を養育する権利をもつ」人間だ。便宜的に女性の場合は「ママ」、男性の場合は「パパ」と養育対象から呼ばれることが多い。
子供たちを生んだ生物学的な親は、母親が子供を出産してすぐ、子供から引き離され、その後子供の顔を見ることはない。それでも子供の出生率がここ数年保たれているのは、第一に「自分の遺伝子を後世に残したい」という欲求と、第二に、子供を産むことで支給される手当が目当てだと、専門家は分析している。
子供たちは8歳までが夜9時までに就寝しないといけないと決められている。礼儀正しく順番に、ママに「おやすみなさい」と言って、各自の部屋に入る。15分後にきちんと部屋を暗くして、ベッドに入っているかのチェックが入るが、大抵の子はおとなしく寝静まっている。究極的教育を受けて、身勝手な価値観、論理の通らない理屈、間違った健康管理、いい加減な栄養バランスの食事を押し付ける親のもとではなく、完璧で健康的な心身教育、最高の教育理論に基づいた子供たちがのびのびと、かつ最も効率的に自身を伸ばしていける体制のなかで育った子供たちは、ほとんどが賢く優しく、道徳的、かつ倫理的だ。9歳以上の子供たちは各々が、雑誌を開いたり、漫画を読んだり、顕微鏡を覗いたりして自由に過ごしている。
論理的な子、芸術面の才能が優れている子、運動神経の良い子、数字に強い子…と、誕生時の遺伝子検査と、定期的なテストからその子の才能を調べ上げ、それに基づいて子供たちそれぞれを、各自が最も自分を生かせる方向に伸ばしていく。これといった才能のない子がいるが、そういう子は特に注意して可愛がり「可愛い子」「いい子」へと誘導する。実はそういう子はかなりの数いるのだが。協調性を持つ、相手の気持ちをよくくみ取る「いい子」が損をしない社会に、「いい子」を蹴散らす「悪い子」がいない社会に、この子たちが大人になるころはなっているだろう。そのための「究極的教育」でもある。
窓ガラスにママの知らない大人の顔が見えた。何か呼びかけるように、名前を呼ぶように、何度も同じ形に口を開ける。
ママは呆れたように冷たい視線を投げると、校舎の玄関へ行き、二人いる警備員の内の一人に、
「A(アー)室の窓の前に誰かの親らしき女性が見えるわ。すぐに追い返して、二度と来てはいけないと強く言っておいて。」
と強く言い放った。
子供たちは親の顔を知らない。しかし親がいなくても平等に与えられる平和と何不自由ない生活を子供たちは送っている。だから、親に会いたいという子は全くいないと言っていいほどなのだが、親の方は違うらしい。自分の生んだ子供に付けられた名前も、入れられた校舎も知らせていないのに、親たちは興信所を使い、子供の居場所を突き止め、その顔を見ようとする。興信所に高いお金を払って得られる情報にどれほど信ぴょう性があるとも思えないのだが。なぜなら、親は子供の顔をほとんど見ずに、赤ん坊のわが子から引き離され、母親は産後一週間別室に閉じ込められて出産後の疲労回復に務めさせられるから、興信所がどんな間違った情報を提供しても、親たちにわかりっこないのだから。
しかし昨今そんな親たちの声が拡大している。ママはそれを一つの懸念としていて、50年続く究極的教育社会の歴史の存続と発展を危ぶみつつも、これからも続くようにと願っている。
母親T美の公園での演説は先ほどから一時間半あまり続いている。
「我々親たちが子供たちに特別な愛情を施さずに、子供たちが健全な成長を遂げられるでしょうか?母親は子供を産む道具ではありません。子供に自分が親にとって特別な子供、私たちにとってかけがえのない宝なのだと教えるためにいるのではないでしょうか?横暴な日本究極的教育委員会から親の権利を奪還しましょう。」
T美が一息つくと、集まった父親や母親たちが「そうだ、そうだ」と声を上げた。
「子供たちは親を必要としています。」
T美の声は天に昇った。
ある朝、ママが点呼を取ると、中学生のJ子がいないことに気づいた。
「Jちゃん?J?」
校舎のどこを探しても見当たらない。5階のトイレを探しているときに、事務員が不安な表情で
「お電話が入っているのですが…。」
と伝えに来た。
「何の電話?誰から?」
「Jちゃんの母親だそうです。」
すぐさま、事務室に向かい、電話を取った。
「もしもし、わたくし、Jの母親の?坂T美と言います。J子は返してもらいました。もともと私のものですものね。それで…。」
ママはT美の言葉を遮った。
「J子さんはあなたのお子さんではありませんよ。」
「嘘、おっしゃい。ちゃんと調べさせたんですからね。」
「どうやって調べましたか?」
「興信所とか私立探偵とか知らないの?」
「存じております。その興信所とか私立探偵がどうやって調べたか知っていますか?」
「それは…。」
「彼らの多くは虚偽の調査結果で報酬を得ています。信頼性の足るものではありません。」
一瞬の沈黙の後
「ふんっ。だからって、J子はあなたたち国家のものではないわ。私の子として育てます。」
「国家のものです。国家の大切な財産です。」
「うるさいつ。うるさいっ。うるさいっ。」
続けてT美は意味の分からない言葉をまくしたてた。かろうじて聞き取れた意味は「私たちの署名と声明を日本究極的教育委員会に提出しなさい」というもの、そうすれば「J子は一旦返す」というものだった。
ママはすぐさまこの事態を上層部に伝えた。手続き重視の公務員思考の上層部は、無理やり子供を連れ去られたという事態に恐れおののき、「署名を受け取る」と言った。ママの懸念は一層拡大した。
ママのいる校舎にT美は直接署名を届けに来た。T美はママを玄関から呼びつけた。
「わたしたち一般市民には日本究極的教育委員会がどこにあるかも伝えられないから、あなたが責任もって上に提出しなさいね。今すぐに持って行ってちょうだい。今すぐよ!今すぐ。上に提出したら私の携帯に連絡して頂戴。首をながーくして待っていますから。」
と一言添えて。