目覚めて二人におはようを
言い淀んでいるとせっつかれたので、仕方なく口を開く。「また英花にさせたみたいな嫌な思いさせるの、失礼かなって思ったから、ちゃんと申し開きをしたほうがいいかなって」
優しいのはいいけどその使い方が下手なんだから。英花にそう言われてそうかもね、と頷く。「とりあえず静観しておけばいいじゃない。まあ瑞奈には難しいかもだけど、結菜ちゃんが不安そうだったりしたら行動を起こせば」
「そうなるよねえ、やっぱり」
ありがと、と英花にお礼をして自分の席に戻る頃には、昼休みの終わりのチャイムがなっていた。なんだかんだで私とまだ親友でいてくれている英花に頼ってしまう。あとでなんか奢ろうか、と思いながら授業の準備をする。静観、ね。
私はそうするつもりだった。
真冬はそうじゃなかった。
◇
首に回された手が離れる、真冬の踵が床につく。並んだ時に私より小さいな当たり前か、そうぼんやりと思ったけどこういう形で実感するなんて考えてなかった。ふぅ、といままで二人の唇の間で閉じ込められていた吐息が空気に散ってゆく。金曜日、また結菜の部屋に遊びに来た真冬に応対してついでに食事の準備をしている時だった。
「そういう顔もかわいいですよね、瑞奈さんは」
「あんた今なにやったかわかってる?」
「あ、そういうこと言わせちゃいます?やだー瑞奈さんやらしー」
怒鳴りそうになると口を抑えられた、「結菜に聞こえますよ、大声出すと」。いっぱしに脅迫までしやがってこの女やっぱ最低。
くすくすとまた胡散臭い笑い方をして、真冬はいたずらっぽく上目遣いになる。
「あーあ、初めてだったのになあ」わざとらしい。
「……なんで結菜と付き合ってるの」
「人を好きになるのに、理由って要ります?」
「はぐらかさないで」
「はぐらかしてるのは瑞奈さんだと思いますけど、」と見上げられる。またされるわけにはいかない。後退りすると真冬はすこし悲しそうな目をした。「……あ、結菜来ましたね」
「お姉ちゃん、真冬そっちに……あ」まずい。同様とかそういうのを見せたら怪しまれる。そして怪しまれたら私はボロを出さない自信がない。「あ、結菜」
「……また真冬に悪口言ってたの?」
「違う結菜、そうじゃなくて、」
「晩御飯の味付けの好み聞かれて話し込んでただけだから、だいじょぶだよ。結菜は心配症なんだから」
それならいいんだけど。目に見えて結菜が安心して私もほっとする。よかった、とりあえずは何事も起きずに済んだ。庇われたのが悔しいけど、そうだ静観、静観しなきゃ、うん。……静観?もうそんな状況じゃない。何事もなかったなんて嘘だ。
ありがとうございます、と頭を下げる真冬の顔。貸し一つですよとばかりに笑っている。しまった。
それから唸りながら作ったカレーを三人で食べる。結菜が高校に上がってからやっと手がかからなくなった、とばかりに働きに戻った母と父の帰りは大抵遅くて、そういう時は個々で食事は済ませるのがこの家のルールだ。なんで今日も帰りが遅いんですかお父さんお母さん。娘がピンチなんですよ。
いただきます、と微妙に揃わない挨拶をしてカレーをひとくち、「あ、確かにちょっと違うかも。お姉ちゃん芸コマー」「ほんとだ。おいしい」。二人からの称賛もあんまり耳に入らない。口にする、確かにいつもと違うけれどそれはそれで美味しい味にはなっている。やるじゃん私焦りながらでもちゃんと料理作れるじゃん。……ぜんぜん嬉しくない。胃がもたれる。なんで私がこんな気まずい思いをしながらカレー食べなきゃいけないんだもう。かち、かち、と食器とスプーンの擦れる音に、結菜と真冬の楽しそうな会話が混ざるっていうかめちゃくちゃ楽しそうに笑ってる。なにそれ、どういう神経してるんだこの女。答え、付き合っている女の姉に無理やりキスしといて平然とその妹と談笑する神経。
全員食べ終わるのを待ってから私片づけやるから二人は好きにしといて、と台所に篭っ水洗いをする。また結菜がお姉ちゃんそういう気遣いしないでとか言ってきたけどそうじゃない。これ以上あの女に近づかれて巻き込まれるのは避けたいってだけ。
コンビニに行くと高確率で流れてるような流行りの曲を生で歌っているの、結菜と真冬は聞き入っている。「やっぱプロは生でもうまいね」「口パクでしょきっと。マイク倒れないかな」捻くれたことしか言えないのかあいつ。そしたら本当にマイクが倒れたみたいでふたりとも吹き出した。偶然まであいつに味方しているんじゃないの。
いま歌続いてたよね口パクだ、とけらけらくすくす重なる笑い声のうち、聞き慣れた結菜より真冬を聞き分ける。上品ぶっているけれどそうじゃない。英花よりもっと立体的だ、隠しているということを隠している。胡散臭い。
番組が終わるまでこっちが自室にこもっておこう、と階段を上がっていると携帯が震える。母さんから、続けて父さんから。文面を見ると「今日は泊まり」×二人分。こういうことは稀にある、んだけどそれが因りにもよってあの女が来ている時なのが怖い。どこまでご都合主義に世界は回っているんだろう。
「お姉ちゃーん」
だって、
「真冬、今日泊まりたいって。お母さんたち今日帰ってこないっていったら、明日土曜日だしちょうどいいかなって」
こうなるに決まってる。
◇
頼むから変なことはしないでよ、と冗談めかして伝たら「お姉ちゃんデリカシーないよ」って怒られた。ごめんなさい。
「お姉さんもこっち来ないんですか?どうせはしゃぐなら人数多いほうがいいと思うんですけど」
「せっかくだけどお二人さんのことを邪魔するなんて野暮なことしたくないし、私は部屋に篭って適当に好きな事だけしてるから、気にしなくていいよ」
私達二人は部屋が別々だ。結菜が中学に上がるまではマンションで同じ部屋だったのだけど、その頃に一軒家に引っ越すことになって、親切な両親の親切な配慮でちゃんと部屋が分けられれた。私は別に一緒でも構わなかったしむしろ一緒がよかったんだけど、難しい時期だし一人にもなりたいでしょという優しさにわざわざ逆らうこともできなかった。結局、今でも一緒の部屋で過ごすことのほうが多いけれど、今日みたいなことがあるとあの時の両親の采配の正しさをかみしめて月曜の宿題をやるしかなくなる。
教員用文法書丸写しの授業をする英文法の名物ハゲ教師の参考書丸暗記テストの例文を丸写し。頭じゃなくて指で覚えれば、忘れても体が書いてくれると四月に力説されて週一で繰り返してきたこのテストの効用はたかが知れている。体から抜け落ちることを忘れるっていうんだってことをきっとあのハゲは知らないんだろう。平常点のためにどうせ忘れる苦行に精を出す私はマジ健気。結菜だったらこういう作業も淡々とこなすのにまあ不出来な姉ですこと。……そうじゃなくて。
そうじゃなかったらじゃあなんなんだろう。
作品名:目覚めて二人におはようを 作家名:倉庫