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マリオネットの恋

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「じゃ、どうして私のことを追い出したりしたのかしら?」
「分からない」と山本医師は素直に答えた。
柱時計が九時を打った。
猫が入っていた。ずいぶんと緩慢な動きだった。欠伸みたいなことをすると、ちょこんと山本医師の膝の上に乗った。
「私、教師をやっていく自信をなくしたわ」と弱々しく言った。
「辞めるなら早い方がいい」と山本医師は言った。
ちょっとむっとした顔をして山本医師を睨んだ。それを見て山本医師はにやにやと笑った。
「チビの頃とちっとも変わらん!」
「もう、大人よ、失礼ね。帰るわ」と怒って由美子は部屋を出た。

六月のある日、手紙がきていた。てっきり恭子からだと思ったが、差出人が書いてなかった。それに字体が違っていた。あの男の字とも違う。薄気味悪さを感じてそのまま棄てた。由美子は感受性が強いというか、ちょっとしたことでも気になる。気になると、それがなかなか頭から離れない。
翌日、試験の監督をしていた時のことである。
「先生、どうしたんですか?」と一人の女子生徒が聞いた。
「さっきから、ずっと空ばっかり見ている」
「そうかしら?」と慌ててその子を見た。
「そうです」とその子はうなずいた。
「いいから、試験をしなさい」とその子に言った。
その時、みんなの視線が自分に集まっていることに気づいた。
「みんなも、早く片付けなさい、後、十分よ」とわざとらしく時計を見た。
忘れようとすると、ますます気になる。別のことを考えようとしても、駄目だ。あの女からだろうか? それとも男からだろうか? どうして、みんな、あのこと忘れさしてくれないのだろう? ちょっとした間違いだった。あの男とは一度だけ犯した間違いではないか。好意がずっと持っていたかもしれないが……

雨の日が続いた。気まぐれに降る雨はまるで熱帯のスコールに似ていた。一頻激しく降ると、すぐに青空がのぞく。傘を持つのが馬鹿馬鹿しいくらい目まぐるしく変わる。山本医師は女のようだと形容した。子供達はそんな雨に慣れていて、傘を持たない。が、由美子は必ず傘を持っていく。
第一週の土曜のことだった。朝から雨が降っていた。学校は半ドンであった。帰る頃には晴れていた。一台の車が由美子をめがけて来た。水が由美子のスカートにかかった。車が急停車した。一人の女が降りてきた。サングラスをしていた。由美子はその側を過ぎようとした。
「久しぶりね」と女が言った。
由美子はびっくりして振り返った。
「わたしよ、由美子さん」とサングラスをはずした。あまりの驚きに由美子は言葉を失った。そうだ、ゆかりだった。ゆかりはまるで割れた花瓶を繋ぎわせたように顔中がひび割れている。それは哀れというよりも醜いとしか言いようがない。
由美子はどうしていいのか分からず立ち竦んだままだった。
「静かで、いいわね、ここは」と目をそらし、海を見た。
「何の用かしら?」と由美子は気を取り直した。
「何の用? せっかく手紙を出したのに、読んでないの?」
「読まずに捨てました」
「どうして?」
「差出人も書いてない手紙なんか気味が悪いでしょ。あなたが書いたの? やっぱり変な人ね」
「よく言うわね。この泥棒猫が!」とゆかりの顔がみるみる変わった。
「いいえ、そういう女よ、あなたは。全く、この世の男達はしおらしくしていれば、みんな可愛い子猫にしか見えない。でも、私は違う。私は全てを見透かすことが出来るよ。あなたの美しい顔の下には男を食い物にする獣の顔がよく見える」とゆかりは由美子の顔を覗き込む。
「冗談はよしてください」と由美子は通り過ぎようとした。
ゆかりはすぐさま由美子の手を掴んだ。
「何を言っているのよ。あなたのせいで私の人生はめちゃめちゃよ。あなたを切り刻んでやりたい」
「あの日、私を襲ったのはやはりあなたね。そうではないかと思っていたけど」
「なぜ警察に言わなかったの? 後ろめたかったからでしょ?」
「昔の話です。それに先生とはもう別れました」
「そうね、明もそう言ったわ。でも、嘘よ。私には分かる。あなたは愛おしくてたまらないのよ。その証拠に私を抱こうとしないもの」
 化け物ように顔をしている。夜叉という表現がぴったりである。こんな女を抱きたいと思う物好きはこの地上にいるとは思えなかった。
「それは私が関知するところではありません。繰り返しますが、私は忘れました。だから、この島に来ました」
「忘れたの? 二年も愛し合ったのに。今の若い人って薄情なのね。……いいえ、嘘よ、他の人を騙せても、私の眼は誤魔化せない。あなたの心には、今も明がいる。それにしても、何ときれいな目をしているの。その目で見つめられると、たいていの男が騙される」とゆかりはナイフを取り出した。
「さあ、その眼を取り除かなくては、そうすれば、もう明の姿が映すこともないし、明の心を射ることもないでしょう」
「狂っているわ」と由美子は泣き出しそうな顔をして言った。
「狂っている? この私が? ずっと、主人に使えてきた私が、その間に一度だって不倫もしたことがないし、子供達を有名高校に入れた私が狂っている? 狂っているのは、あなたの方よ。よく考えてごらんなさい。あなたは私の心を踏みにじったのよ。二年もの間よ。わたしは苦しみ、涙に暮れたわ。もう、涙がなくなってしまったけど」
「私は先生にだまされたのよ。被害者です。ずっと独身だと言っていた。実際、先生の部屋に行ったときも誰もいなかった」
「別居していただけよ。ちょうどあなたと明が出会った頃よ。今、思うと、あなたに会うためにあの部屋を借りたのよ。何て憎たらしい女かしら」
ゆかりはバックからナイフらしきを取り出した。その時だった。大輔が飛び込んできて、そのナイフを取り上げた。大輔が凄まじい形相でゆかりを睨み、その手を上げた。
「だめよ、大輔君」と由美子は制した。
ゆかりは笑った。とても、まともとは思えない笑い方だった。
「あなたの生徒? とても強いわね。それにしても美しい師弟愛ね、参ったわ」とゆかりは笑いながら言った。
「そのナイフはオモチャよ」と言って車に乗り込んだ。
「坊や、その先生はとても綺麗だけど、本当の化け物よ。男を食うのよ。まさか、その子は食っていないわよ。由美子さん、そんなことをしたら犯罪よ」
「化け物はお前の方だ、よく鏡を見ろ!」と大輔が怒鳴った。
ゆかりの微笑んだままだったが、その眼には怒りを隠せなかった。しばらくして車は去った。大輔も何も言わず去った。由美子一人がそこに残された。過去を清算して、この島に来たはずだった。過去を忘れたはずなのに、否応なしに過去に連れ戻された。苦く切ないものが胸に沸き起こった。

恭子から電話がきた。
「ごめんね、由美子、手紙読んだけど、わたし、理系の人間だから、筆不精で、分かるでしょう?」
「いいの、電話有り難う」
作品名:マリオネットの恋 作家名:楡井英夫