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 彼の放熱ファンは激しく音を立てていて、彼が相当な熱を帯びる負荷をかけて、ここに来てくれた事を示していた。
 肩を大きく上下させているのは、彼なりのいつもの演出というやつだろう。

「保健所には連絡を入れてある。トモちゃんを処分しないようにな。迎えに行くだろ? 地図データも交通データも揃ってるぜ!!」

 ――ああ、彼はなんて気が効く奴なんだろうか。

 僕が倒れただけで、それだけの事を予測して行動していたなんて。こういった応用力が、彼の魅力であることを僕は改めて感じる。
 親友に手を引かれてバタバタと病室を後にする僕達を両親と先生はただ黙って見送った。

 僕は、この時、それを不審に思うべきだったのだ。




 病院から、西郊にある保健所まで、電車とバスで壱時間半かかった。
 バス停に降り立つ。
 何も無い山にポツンと、半分めり込むような形で灰色の壁に囲まれた建物が目に付いた。

 あれか……。

「おい、走るなよ! 病み上がりだろ!?」
 駆け出した僕の背にかかる親友の声。それは、僕を心配しての発言だった。
 しかし、僕にはどうしても、視界に入るあの建物へ、トモが居るはずの場所へ、ゆっくり近付くという事が出来そうに無い。
 減速する気配の無い僕を、僕より一つ古い型の親友が追う。放熱ファンが回転する音が聞こえる。
 すまない。
 僕より若干運動時の放熱性能に劣る彼に心の中で謝りながら、僕は保健所へと走った。

「今ガスの充填が始まった所だから……」

 保健所の役人にトモの居場所を尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「え……?」
「なんでだよ! その子は避けといてくれって頼んだだろ!?」
 親友が役人に食って掛かる。
 素行に若干問題のある彼をたしなめるのは、いつも僕の役割だったが、今回ばかりはそれに注意をしようと考える余裕も無かった。
 ガス室はここから目と鼻の先だ。
 コントロールパネルに表示されている見取り図を確認するや否や駆け出す。
 すれ違いざまに、役人が座っていたと思われる椅子を拾い上げる。
「製造年数が十年を超えない者の意見は、当局では受け付けない事になっているんだ」
 親友に追い詰められて、渋々告げる役人の声がみるみる遠ざかる。
「あっこら!!」
 手にした椅子を、ガス室の扉へ思い切り叩きつける。
 重く、頑丈そうな扉はびくともしない。が、叩き付けた衝撃からは、その扉が一枚であろう事が伺えた。
 中で二重になっている可能性ももちろんあったが、
 呼吸が必須の生き物達と違い、僕達にとって二酸化炭素ガスは恐れるものではなかった。扉が一枚である確立はそう低くないだろう。
 それでも、日常動作を行うに必要な出力ではとてもこの扉は外せそうに無い。
 動作出力のリミッターを強制的に解除しようとする。
 僕の知らない緊急パスワードがなくては解除出来ないはずのロックは、なぜかあっさりと外れた。
 扉の接合部に指先を揃えてつき立てる。
 派手な音を立てながら、砕ける蝶番と僕の腕。
 金属と塗装がところどころ粉状に削れて舞い上がる。
 指先にあるセンサーが、破壊される先から一つずつ反応を失う。

「おい、ノニ!!」
 後ろから追いついた親友の声に
「大丈夫」
 とだけ返す。
 一年前の僕には出来なかった返答だ。あの時の僕では、彼が何を思ってそう発言したのかが分からなかったはずだから。
 パッキンに覆われた扉を、壊れた腕で強引にこじ開けようとする。
 自分のものではない、けれど耳慣れた放熱ファンの音に顔を上げると、親友が僕と同じように扉を引き剥がそうとしていた。

 少し離れた場所から、保健所の役人が、ウィルスにやられたと思われる二機が破壊活動をしている旨の連絡を警察に入れているのが聞こえる。
 それは好都合だ。
 ウィルスにやられたと思われているならば、感染を恐れ、近付いては来ないだろう。
 警察が到着した後の事は今考えないようにして、やっと開いたその隙間から、身を捻るように室内へ飛び込むと、トモの姿を探す。
 せわしなく動かされる視界に、一瞬ふわふわとした金色が映る。

「トモ!!」

 その小さな体を片腕で強引に抱え上げると、部屋を抜け、施設の通路。ガスのないところまで早急に移動する。

「……ノニ、痛い、よ……」

 微かな声にハッとする。
 リミッターを外した僕の握力は、気を付けていたにもかかわらずトモの腕にくっきりと痣を残していた。

「トモ、具合はどう? 苦しい所はある?」
「ううん……もう……苦しくないの……」
 そう告げるトモの体温は信じられないほどに低下していた。合わせて、脈拍も血圧も低下しつつある。
 こんなに小さな体だ。ガスの回りは早かったのだろう。

「ノニ……」
 ピンク色だったトモの唇は、青紫へと変わり、僅かに震えていた。動く事もままならないその体で、僕の胸に縋り付くように寄り添おうとするトモ。

 ダメだよ。今僕の体はすごく熱を持っていて、下手に触ると火傷するかもしれない。
 そう、告げねばならないのに、僕には身じろぎする事も出来なかった。
「入院したって……聞いて……私、心配……」
「うん、後で聞くから、今は喋らなくていいよ」
 僕の制止の声はトモに届かない。
「私と居ると……、ノニが、壊れちゃうんだって……おかあさんが……」
 僕を見上げるその瞳に、透き通った体液が満ちる。僕達が決して零す事の無い、涙と呼ばれるその雫が一筋、トモの頬を伝う。
「――っそんなことない!! 僕は……僕はトモが居なくなってしまったら……それこそ壊れてしまうよ」
 トモの瞳が僅かに揺れる。その瞳には、疑問の色が濃く浮かんでいた。
 脳に酸素が足りていないんだ。分かりやすく伝えなくては、伝わらない。

「トモ。僕は、トモの傍にずっと居るよ」

 出来る限り優しい声で、出来る限りトモに届く微笑で、そう伝えると、トモの表情がふにゃっと弛んだ。

「……よかった……私、淋しかっ……」
 力なく伸ばされた腕が、僕の首に回る前に力を失った。

「トモ!!」

 重力に引かれるままうなだれてしまったその腕を、傷付けないようそうっと拾い上げる。トモが目を開く気配は無かった。

 どうしてこの子がこんな目に遭わなきゃいけない?
 ……どうして、僕はそれを止められなかった?

 人もどきと係わる中で、僕達が大人達の予測を超える行動を取るのは、おかしくなるからじゃない。
 人もどきを思うが故だ。

 あの雨の日、僕を受け入れてくれた動物病院の先生を思い出す。
 閉まっている所へ強引に押しかけて、先生は僕をおかしな奴だと思わなかったのだろうか。
 そんな僕の問いに、先生は笑って『良くあることだ』と答えた。

 生き物に、我々のルールは通用しない。
 その存在を大切に思うなら、そのルールにこちらが合わせるしかない。
 生き物を飼うと言うのはそういうことだと、先生は話していた。

 僕達が僕達のルールから外れた行動を取るのは決して幼い者だけではないし、まして、それは人もどきに係わった時のみに限った事でもない。

 その行動が異常行動ではないことも、僕にはもう分かっていた。
作品名:facsimile 作家名:弓屋 晶都