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学校に入った頃からずっと?感情の理解力に劣る?と評価され続けていたこの僕が、こんな風に他者の内心を思い量る事が出来るなんて、あの頃には思いもしなかった。
一年前、最低必要文字数を埋めるのにあれほど苦労していた感想文も、最近では規定文字数内に収める事の方が困難になっていた。
どちらにせよ、感想文が苦手である事に変わりはなかったが。趣向の問題で言うならば、今は前よりもずっと好きだった。
トモの三歳の誕生日を祝う頃、僕の頭は容量の限界を迎えようとしていた。
虹を眺めて驚くトモ。初めて手渡したビー玉を口にしそうになるトモ。暗いところを怖がるトモ、僕の手を握り返して微笑むトモ。
全てが、音声付の動画ファイルだ。
それらのデータへ即アクセスする為の索引で、メモリ領域も確実に圧迫されていた。
今すぐ必要でないデータは外部に保管しておけばいい。そんな事は、生まれたての者にだって出来る事だ。
けれど、既に僕のほとんどを埋め尽くしているトモに関するデータの何一つも、僕は、僕の外に出してしまいたくなかった。
僕の異変に最初に気付いたのは、トモだった。
「ノニ、どこか具合が悪いの?」
足りないメモリを補うべく、少しずつ確保と解放を繰り返しながら演算する。それにはどうしても、時間がかかった。
僕の反応が遅い事を、トモは不審に思ったらしい。
「大丈夫だよ」
なおも心配をするトモに、普段僕達が使う事の無い、生き物向けの言葉を選ぶ。
「少し、疲れているんだ」
「そうなの? ……休んだら良くなる……?」
「ああ、すぐに良くなるよ。ありがとう」
僕は、トモと出会った頃よりずっと自然に作る事が出来るようになった笑顔を浮かべると、ふわふわと金髪が揺れるトモの頭を優しく撫でた。
次に気付いたのは、両親ではなく、親友だった。
「お前、無理してるだろ」
彼は腕を組み、ボクの事をわざとらしく見下ろすとそう言った。
「おかしいと思ってたんだよ。ちまちまデータを集めるのが大好きなお前がさ、俺に見せられる画像が一つもないなんてありえないだろ」
彼は、なぜこうも鋭いのか。
他者の心境を推し測るという点では、僕達の学年全員と比べた所で彼の右に出られる者はないだろう。
「こんなこと、いつまでも続けられるもんじゃないぜ?」
眉を片方だけ持ち上げて、親友が警告する。
表情を自在に操るという点でも、彼はやはり優秀だった。
「うん……わかってる、よ……」
このままの生活を継続すれば、いずれ熱暴走が起こるだろう。どこかで諦めなくてはいけないのは、僕自身分かっていた。
僕の言葉に肩をすくめた彼の表情は、苦笑を浮かべていたにもかかわらず、どうしてか悲しそうに見えた。
だって、トモは僕達とは違う。
壊れてしまったらもう元に戻せない生き物なんだ。僕達と違って、その見た目もどんどん変化してゆく。
今日のトモは、もう二度と会えない今日だけのトモなのに、それを……そんな、類似データをまとめたところで、削除するなんて事……は……。
まずい、急に考えすぎてしまったのか。メモリの解放に手間取って、処理が……追いつかな……い……。
「おいっっ!! ノニ!?」
親友の声が遥か遠くに聞こえる。すぐ近くに居るはずなのに、おかしいな……。
姿勢のバランス機構が停止するとともに、身体が床へと傾いてゆくのをなんとか認識する。カメラとの連絡が途絶えると、僕の視界は暗く閉ざされた。
目を覚ました時、僕はベッドの上に居た。
見慣れない天井……。家ではない。保健室でもないようだけれど、ここは……。
あ、れ……?
そこでふと、自分の中が空っぽになっている事に気付いた。
たくさんのトモの姿で溢れていたはずの僕のハードディスクは、
今その八〇%以上を空き領域としている。
僕が目覚めた事をセンサーが感知したのか、人が来るような物音がする。上半身を起こして周りを見れば、ここは病室だった。僕達用の病院か……。
規則正しいペースで近付く二つの足音。
今頃トモは何をしているだろうか。僕が居なくて、食事や睡眠に支障は出ていないだろうか。
僕に残されたトモの情報はごく僅かで、少しでも彼女を取り戻したいという衝動のままにファイルを片っ端から開く。
人もどきの危険性というファイル名のついたテキストデータを認識した瞬間、僕はベッドから飛び降りていた。
トモが、既に家に居ない可能性が高い事にやっと気付いた。
僅かに軋む関節が、同じ姿勢で居た時間が長かった事を伝えている。
扉から外へ僕が飛び出そうとしたのと、扉から中へ医師と看護士が顔を出したのはほぼ同時だった。
二人の横をすり抜けようとする僕を看護士の腕が拘束する。肉体労働用のモデルに、僕のような汎用モデルが腕力で叶うはずはなかった。
「離して下さい! 家に帰ります!」
僕の叫び声は、僕が思うより切羽詰った響きで聞こえた。
「待ちたまえ、今、君の両親がこちらに向かっているから」
両親。
その言葉に自分の親役を担当している二人を思い浮かべる。
彼らはどちらかと言えば温和な人達だった。けれど、それゆえに臆病でもあった。そんな人達が、果たしてトモをそのままにしておくだろうか……。
看護士に抱え上げられたまま、考えを巡らせるも、どうしても明るい結論には辿り着きそうに無い。
そうしているうちに、廊下の隅に見慣れた二人が姿を現した。
「よかった……、目が覚めたのね」
嬉しそうな、安堵したような表情を作って、駆け寄ってくる両親役の二人。
僕には、彼らに謝罪や礼を言うよりも先に聞かねばならない事があった。
「お父さん、お母さん、トモは……?」
母役の人が僕から目を逸らす。瞬間、僕のハードディスクが空回りをしたような気がした。
「人もどきは、あなたのように未熟な者が扱うには向いていないのよ」
それがどういう意味なのか、予測は出来るはずだった。けれどしたくなかった。
「…………それで、トモは……?」
「トモちゃんには悪いけれど、昨日、保健所の人に引き取ってもらったの」
「そ……れは…………」
これ以上、僕の声は言葉にならなかった。
プロセッサがまるで勝手な事を演算しているようで、頭の中がごちゃごちゃだった。
急激に沢山の事を考えてはいるのに、その何一つも形を為さない。
昨日……?
僕はどれだけの間寝ていたのだろう。
頭の片隅で、最後に残したデータのタイムスタンプと現在の時刻を比較する。
昨日なら……まだ間に合うかもしれない。
……まだ、トモは生きているかもしれない。
そう思った途端、煩くてしょうがなかった雑多な考えが一つに集束した。
保健所の場所を調べよう。いや、連絡先が先だ。
焦っちゃいけない。確実にこなさなくては。失敗は許されない。
なるべく自分を落ち着けるようにゆっくりと目の代わりをしているカメラのカバーを閉じて、開く。
そこへ、勢い良く駆け込んできたのは親友だった。
「ノニ! 目が覚めたんだってな!」
一体どこから駆けつけてくれたのか。