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 動力炉や、腹部に収められたモーターの熱が伝わっているのだろうか。一応システムをチェックしてみるが、特に負荷のかかっている箇所もなければ、当然、熱暴走の起こっているような部位もない。
 いや、トモの寄りかかっている箇所が若干熱くなっている。
 おかしいな。密着されたとしても、ここまで温度が上がるだろうか?
 トモの体温は、三十六〜三十七度のはずだ。
 右手表面のセンサーをサーモグラフィーに切り替えてトモにかざしてみる。トモの体温は、四十度に達しようかとしていた。
「発熱!?」
 思わず口に出した僕の言葉にも、トモは反応を示さないままに
ゆっくりと、小さく瞬く。
 いつから熱を出していたんだ。
「トモ、具合が悪いのかい?」
 僕の問いにも、トモは反応を示さない。
 ぼんやりと開かれたままの瞳を覗き込むと、焦点が合っていなかった。
 これは、相当良くない状態ではないだろうか。
 プロセッサが一瞬チリッと音を立てる。いつもなら気にならないその音が、酷く不快に聞こえる。
 僕は、トモを毛布で覆うと、雨の中へと飛び出した。


 動物病院へ……!!

 三つ目の角を曲がってからやっと、家を出る前に病院へ連絡をしておかねばならなかった事に気付く。
 どうかしている。
 そんな判断すら出来なかったなんて。
 僕の思考回路には、何か致命的なバグでもあるのではないだろうか。トモが具合の悪かった事にも、ずっと気付かなかったのだから……。

 僕の腕の中、雨に濡れないよう、身体で覆い被さるようにした毛布の塊が小さく上下している。
 それは、トモが呼吸をしている証で、トモが、生きている証だった。
 ……では、もし、この動きが止んだら……?
 そんな事は分かりきっている事だった。
 生命活動を停止した肉塊は、すなわち死体へとその呼び名を変えられる。
 たったそれだけの事を認めるのに、三十秒もかかった。
 僕のCPUはいよいよ深刻な状態になりつつあるのだろうか。足こそ止めないものの、もし、病院に着く前に、トモを医者に診せる前に、自分を制御できなくなったらと思うと、怖くてたまらない。
 こんなに恐怖を強く認識したのは、生まれて初めての事だった。

 動物病院の看板がようやく視界に入る。
 今までにも三回、トモを健康診断に連れてきたことがある場所だ。
 下ろされているシャッターに、躊躇うことなく腕を叩き付ける。
「すみませんっ! 開けて下さい!!」
 この小さな個人病院は、二階と三階が住居になっていて、そこに医者の先生がその家族と住んでいたはずだ。
 迷惑は承知の上で、もう一度声を上げる。
 すると、二階の窓が開いた。
「今開けるから、ちょっと待っててちょうだい」
 先生の奥さんであり、治療のアシスタントでもある女性が、驚くでも怒るでもなく、落ち着いた声でそう言った。
 よかった。家に居てくれた……。
 ホッとして腕を下ろすと、左肘の関節がぎしりと音を立てた。

 風邪をこじらせたのだろうと先生は言った。
 風邪と言うのは、咳やくしゃみといった症状が出るものだとばかり認識していたが、それは正確ではなかったらしい。
 栄養のバランスが崩れている事も指摘された。
 確かに、近頃はトモの好きな食べ物が良く分かってきて、ついついそちらに偏りがちではあったが、人もどきの身体と言うのは摂取したものがすぐさま反映されてしまうものらしい。
 今月の偏りを来月戻そうだとかそういった考えは通用しないようだ。
 安静の為にも、今日はこのまま病院で点滴をしながら寝かせる事となって、僕は、明日学校に行く前と、学校が終わった後に顔を出す事を、ぼんやりしたままのトモに約束して動物病院を後にした。


 日が暮れようかという頃、びしょ濡れで帰ってきた僕を見て、驚いたのは両親だった。
 そういえば、出かけることすら伝えていなかった。
 違和感を感じた左腕の肘関節は、既に曲がらなくなっていた。雨が接合部に浸入してしまったのだろうか。それとも、トモを必死で支えすぎたのだろうか。
 トモの体重は僕の耐重量を上回るものではなかったが、トモを落とさないよう、トモを強く握りすぎないよう、トモに振動を伝えないよう、繰り返し繰り返し、腕に指示を送りすぎていた。そのせいだったのだろうか。
 ともかく、トモを無事に渡した後でよかったと、僕は動かなくなった左腕を見下ろし、安堵した。
 両親に事情を話すと、母親役の女性が眉を少ししかめるようにして、僕の腕を見つめた。
 父親役の男性は損傷の具合を詳しく尋ねると、明日病院に行くよう僕に指示した。
 僕の腕は、ありきたりな現行汎用モデルだ。病院という名の修理センターで、すぐパーツを交換してもらえるだろう。
 僕の事を心配してくれる二人に、謝罪と感謝の言葉を述べて自室に戻る。そんな僕の背に、感知できるはずのない両親の視線を感じた気がした。

 両親は、トモの事を懸念している。
 いや、正確には、トモに関わる事によって?僕が?動作不良を起こす事を懸念しているのだ。
 二人の目に、今回の僕の行動はどう映っただろうか。

 あんな事が起きた後だ。両親がそういう心配をするのも無理のない事ではあったが……。



 僕がトモと初めて会った日。
 あの日、教師達が集められた会議の議題は、人もどきについてだった。
 人もどきを飼育する歳若い者の中に、まれにバグともウィルスとも付かないおかしな行動を取る者がいる。との報告が、各地でちらほら寄せられていたらしい。
 僕の通う学校では、会議の結果、人もどきを飼育している家庭では、子供の様子をよく観察するようにとのプリントが配られたにとどまった。
 それからちょうど一年が過ぎた先月、一人の学生が人もどきを抱えてビルから飛び降りた。
 ビルの高さは、僕と同じ汎用タイプだった彼の衝撃耐久可能範囲を遥かに上回っていた。
 亡くなってしまった学生は僕より二つ上の学年で、データ上で顔と名前を認識していた程度で僕とは何の交流もなかった。
 けれど、自分は何故か、彼の取った行動を周りの大人達が言う程に不審だとは感じなかった。

 その学生は、家庭環境も良く、学業も優秀で素行も良く、人もどきとも良好な関係が築けていたと彼の家族は学校側へ報告した。
 それを受けて学校側は、無事に社会の中での自己を確立し、つまり、学校を卒業するまで、己という存在が不安定な若輩者は人もどきに接触するべきではない。という判断を下した。
 今現在飼育中の人もどきについては、道徳的観点から学校に申請をする場合に限り例外として飼育の続行を許可されたが、家庭の方針により保健所へ送られた個体も多かったと聞く。

 ……彼は、焦っていたのではないだろうか。
 人もどきは、外見の成長がない僕達とは違って、見る間にその姿を変えてゆく。
 もしかしたら、彼は人もどきの時を止めたかったのかも知れない。
 人もどきとの関係も良好だったのに……と大人達は首を捻っていたが、僕にはむしろそれこそが最大の原因に思えた。
 特別で、特別で、大切でたまらないという強烈な思い入れが彼の判断を狂わせてしまったのだろう。
作品名:facsimile 作家名:弓屋 晶都