インタルジア -受胎告知―
pie.6 3.自球儀
彼は多くの挫折を味合わされてきた。
いつしか、彼の人生そのものが、挫折を昇華させる為だけに費やされているかのように思われるほどだった。
彼は、そのための方法を身に付けたと言っていた。それは全てを、掌に乗るほどの純粋な球体へと移行させてしまう秘法だった。
彼は両親の存在、生まれ育った環境、数度の転居、小学校、中学校での生活、高校での実戦、上京、恋愛、そして堕落とを、原因と結果という連綿たる入れ子へと変容させることが出来た。その複雑な構成にも係わらず、最終的な外殻は純粋な球体になるのだと彼は説明した。
かすかに白濁した透明球体を覗き込むと、光の屈曲によって内部と外部とが逆転して見えるという。地球儀、天球儀等と同じく、この物体は「自球儀」と名付けることができる。
「それはどこにあるのか。」と私は問うた。
彼はつまらなそうな顔で私を見た。
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※岸田氏は、彼の事を語っている時、何とも言えない表情を浮かべる。得意気でいて、恥ずかしそうな顔。賞賛と嫉妬とが拮抗しながら、時折、その全部を諦めが覆い尽くしてしまう。
これは彼が幾つの時の話なのかと、私は尋ねた。しかし岸田氏は寝入ってしまっており、つい答えを聞きそびれてしまった。
「語り」の後、岸田氏は必ず眠り込んでしまう。
私は様々な疑念をこうしてメモしておくのだが、翌日になると岸田氏も私も、新しい「語り」に没頭してしまって、とうとう解決がつく事は無い。いつか、すべての疑問に答えてくれる時がくるだろうか。
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彼女のリポートは、簡潔にして的確なものだ。彼女の賢さに、私は舌を巻いた。
話の始めについている番号は、私が話した順番とは違っているように思われる。恐らく、ある程度の分量になった報告を、彼女が何らかの方法で分類整理しているのだろう。表題も彼女によるものだが、なかなか的を射たものだ。
こうしてみると私は、彼の事を話しているつもりでも、結局、私自身の事を話していたのだという事に気づかされる。それにしても、私の話に疑問や不審があるのなら、そう言ってくれれば良かったのだ。彼女に対して出来る唯一の贖いが「語り」なのだから、なるべく彼女の意に沿うようにしてあげたい。
しかし、こうして今彼女の疑念に回答を与えようと考えても、何も思い出せないのは何故だろう。箱の糸の色を、彼は赤と言ったのではなかっただろうか。それとも黄色で合っていたのだろうか。古い話だからと、取り繕う事は出来ない。記憶に齟齬を来していたという事は、すなわち私自身の営みに齟齬を来していたという事になるのだから。
私は栞代わりに耳掻きを挟み込んで、さらに原稿を捲った。
作品名:インタルジア -受胎告知― 作家名:みやこたまち