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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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~それから~(湊人・高木編)

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 悠里にも届けばいいのにと思いながら、最後のコーラスを弾く。すぐ隣で健太が息を飲むように見つめてくる。どんなにうらやんでも、彼の変わりにはなれない。自分はピアノを弾くことしかできない。それならとことん突き詰めて、いつか彼女にふり向いてもらえるように――

 ベースとタイミングを合わせて、エンドロールを迎えた。どこからか指笛が鳴り響く。脳の奥に興奮を残して、トリオは静かに解散する。わずかな時間を共有したオーナーと高木は、またそれぞれの客たちと会話を始める。

「おまえってズルいわ……」

 ため息をつくように健太は言った。湊人はピアノ椅子に座ったまま、彼を見上げる。

「何がだよ」
「そんなかっこようスーツ決めてピアノなんか弾かれたら、どんな女かてコロッと落ちてまうわ。ルノも腹立つくらい何べんも『坂井くん、かっこええなあ』て言うてたし。俺、そんなん言ってもろたことないのに」
「なんだおまえ、オレに嫉妬してんの?」
「焼き餅、焼きまくりや。ルノのことも俺よりようわかってるみたいやし……ほんまにズルい」

 いつでも快活で湊人を明るい世界へ引っぱってくれた健太が、見る間に肩を落としていく。その様子が失敗して怒られた小さな子どものようで、湊人は思わず吹き出した。

「オレは健太がうらやましい」

 鍵盤と向かいあいながらそう言うと、彼は「へ?」と間抜けな声を上げた。

「俺の何がうらやましいんや?」
「教えてやらない」

 そう言って湊人が舌を突き出すと、しおらしい姿はどこへやら、湊人を椅子から落とすような勢いで健太がかぶりついてきた。

「教えてくれ! そしたら明日からまた元気にがんばれる気がする!」
「おまえはちょっと元気ないくらいでちょうどいいんだよ」
「そんな連れないこと言わんとってやあ」

 健太はいつもの調子を取り戻すと、湊人の首に腕を回してきた。剣道部の主将で毎日の素振りをかかさない健太に首を締められてはたまったものではないと、湊人は逃げ出した。
 逃げ出したついでに店の外に出て、健太を見送った。数メートル進んだところで彼は携帯電話を取りだした。きっと晴乃にメッセージを送るのだろう。

 おまえたちが上手くいってくれればオレも助かるよ――少し意地悪な気持ちを込めて見送っていると、うしろから誰かがぶつかってきた。

「おっと、申し訳ないです」

 そう言って頭を下げたのは、真夜だった。この妙なおじぎは彼の定番のポーズらしい。
 背丈は湊人とそう変わらない。シャツの襟元から見える首は、湊人より細いくらいだ。この華奢な体でいったいどんな「狂気じみた」プレイをしていたのだろう、と湊人は考える。

「あの……どうしてサックスやめちゃったんですか?」
「ん? 僕のこと?」

 そう言って真夜が周囲を見渡すと、うしろから葉月と高木が姿を見せた。湊人がうなずくと、真夜は困ったように視線を彷徨わせた。

「いやー昔のことなんで忘れちゃったなあ」
「とぼけてないで、後輩のために話してやれよ」

 高木はそう言いながら真夜の背中を押す。隣に立つ葉月が真夜の動向をうかがっている。
 真夜は頬をかくと、湊人から目線をはずしたまま言った。

「……うーん、なんでそんなこと聞きたいの?」
「えっと……オレ、ピアノ以外なんにもできないんです。高校も出席日数ギリギリで卒業したし、大学にも行かないし。だからピアノをやめるなんて考えたことなくて……」

 突っ立ったままの真夜のうしろを一台、また一台と自転車が通り抜けていく。とらえどころのない視線がネオンに包まれる街中をさまよったあと、湊人の瞳をのぞきこんできた。

「僕の兄貴はちょっと頭がおかしい人でね、跡取りになるって宣言した矢先にとんずらしちゃったんだ。それで困ったおじいさんが僕に土下座して跡を継いでくれっていうもんだから、僕は生贄になると決心した。さらばアルトサックス。さらばわが青春。アーメン」

 そういうなり、宙で十字を切る。いったいどこまでが本当の話で、どこからが脚色なのか判別がつかず、湊人は頭を抱えた。

「こいつのじいさん、有名な文房具メーカーの創始者なんだよ。兄貴の頭がおかしいってのも、俺は少し同意するけどね」

 高木は困ったようにそう言って苦笑いをした。彼らが口にした文房具メーカーは誰もが一度は使ったことのあるもので、湊人を驚かせた。真夜のあの頼りなさそうな猫背に一体どれだけの未来の重しが乗っているのだろうと考え始めると、気が遠くなる。

「でも本当の理由は、他にあるよな」

 高木がそう言った途端、真夜は瞳を見開いた。目線はコンクリート道路にむけられたままだったが、「いやだなあ高木さん」と苦笑いすると、ずっと黙っていた葉月が「私も聞きたい」と言った。どんな答えでも受け入れるという、覚悟のある瞳をしていた。

「言っちまえよ。そしたらおまえも気楽にジャズを聞きにこれるだろ」

 高木が後押しをする。真夜は背中を丸めたまま、しばらく考え込んでいたが、湊人と目が合うとゆっくり口を開いた。

「僕はね、魂の切り売りをしてたんだ」
「……魂の?」

 思わぬ言葉に湊人が体を固くしていると、真夜はクスリと笑って続けた。

「そう。葉月さんが入った頃はもう残り少なくて、なんとかやりくりしてたけど、最後に大バーゲンセールをやって売りつくしたんだ。コズミックで完売しちゃって、生産終了」

 さっぱりとした顔でそう言うと、肩の力を抜いてゆるやかな微笑みを浮かべた。何か思うところがあるのか、葉月は眉をしかめて真夜を見つめていた。

「あの……オレよくわからないんですけど、そういうことなんですか?」

 湊人が問いかけると、葉月はふと我に返ったように湊人の方を向いた。

「……うん、思い返せばそうだったんだと思う。私は何の力にもなれなかったから」

 寂しそうにそう言って真夜に笑いかけると、彼も同じ顔をしてくちびるを結んでいだ。

 ふと父のことが頭の中をよぎった。葛藤の末に自殺ともとられかねない事故死を遂げたジャズピアニストの父――真夜の肩のむこうに、古いショウウィンドウがある。中には若い頃の父の写真が飾られている。あの中で永遠に時を止めてしまったのは、魂の切り売りをした末のことなのだろうか。
 湊人は息を飲むと、真夜を見つめて言った。

「じつは……オレの父さんもジャズピアニストで、自殺みたいに死んじゃったんです。気づいてたのに止められなかったって、オレの母さんとオーナーは今でも後悔してます。父さんもやっぱり……魂の切り売りをしてたのかな」

 そう口にしながら、いつの日か自分にもそんな日が来るのかと考えた。迷わずこの道に進むことが果たして正しいことなのか、恐怖さえ生じてくる。

「きっと君のお父さんは、真面目で欲求不満だったんだよ」

 真夜の言おうとすることが理解できず首を傾げると、彼はアルトサックスを吹く真似をした。

「僕は不真面目だったし、最後は満足したからやめられた。葉月さんが加入しなかったら、欲求不満のまま頭がおかしくなって死んじゃってましたよね、たぶん」