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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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~それから~(湊人・高木編)

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 そう言って高木を見上げる。通じるところがあるのか、彼は困ったように整った眉をしかめて「最初から危なっかしい奴だったからな、おまえは」とつぶやいた。

「君のピアノはとってもハッピーだった。ジャズを楽しめてるなら、きっと大丈夫だよ」

 真夜はそう言ったあと、「ね?」と葉月に同意を求めた。呆然としていた彼女はふるっと頭をふると、「ほんと。つい歌いたくなっちゃうくらい」と湊人に笑いかけた。車のヘッドライトに照らされる彼女の瞳の中に、宝石のようなしずくがたまっている。

 即興の『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』を思い出す。軽快にドラムを叩く高木のそばで彼女は歌っていた。観客たちはあたたかな微笑みを浮かべていた。湊人が弾くピアノの音色でたくさんの人が、真夜の言う「ハッピー」な気持ちになれるなら、やっぱりピアノを弾いていたいと胸が熱くなる。

「今夜はありがとうございました。また……来てくれますか」

 そう言って湊人が両手をさし出すと、真夜は驚いたように身じろぎしたあと、そっと握り返してくれた。

「やめちゃった僕が言うのもなんだけど、がんばってね」

 細い手首にぶらさがる大きな手が湊人の手のひらを包む。やっぱりこの人の音色を一度でいいから聞いてみたかったと欲がおきるけれど、口にはしなかった。
 真夜がくるりと向きを変えて歩き出すと、葉月も高木に頭を下げてから真夜のあとを追った。

「高木さんが言ってたのって、あの人ですよね」

 彼らの小さな背中を見つめながらつぶやくと、高木は深呼吸をしてから言った。

「そうだ。ハーバーランドに行ったときは、バンドが崩壊寸前で、彼女も歌えなくなってた。俺が力になれるなら何でもしてやりたいと思ってたけど、あいつらは自分の力で乗り越えた。俺は用無しだった。今でもあの二人はどっか心のすみっこでつながってる。脈ナシの意味、わかっただろ?」

 そう言いながら背伸びをすると、首にかけた黒皮ひものネックレスが揺れた。あれは交通事故で亡くなった先輩の遺品だと聞いている。死んだ人間の想いを継いで生きる高木の本当の気持ちはいつになったら表に出るのだろう、と考え出すと、また心の中がもやもやとし始めた。

「そんな言い方しないでください」

 強い口調でそう言うと、高木は目を丸くした。

「脈ナシだって、どうして言い切るんですか。サムデイを弾いてた時、高木さんすごくかっこよかった。あの人もとっても幸せそうに歌ってた。オレは脈ナシだなんて思わなかった。自分の気持ちをちゃんと言わないで、どうして逃げるんですか」

 高木を責めながら、湊人は自分を責めたい気持ちになった。どうしてあの夜、ちゃんと自分の想いを伝えなかったのか。悠里の「修行中だから」という言葉に萎縮してしまったのか。
 二年前の夏、夢半ばで突然この世を去ってしまったあの人のことをすっかり忘れて、穏やかな日常に埋没して、あたりまえのようにピアノを弾いて満足して――

 湊人は背伸びをして高木のシャツの胸元を引きつかむと、声を荒げた。

「このネックレスをくれた人、突然死んじゃったんでしょ? もう会えないまま、あの人が死んでしまったら、高木さんはそれでいいんですか?」
「おい湊人、落ち着けよ……」
「オレはそんなのいやだ。残されて悲しんでる人を見るのはもういやなんだ」

 そう言うなり、街路をかけ出した。二年前の夏を思い出すと、激流のように感情があふれ出して止まらなくなった。人の死は、すぐそばにいる人々の人生を翻弄する。あるはずだった未来が消滅して、途方に暮れたまま動けなくなってしまう。
 いつしか人の死は日常に埋没して、忘れ去られる。だからこそ前を向いて生きられるけれど、時を止めたままの人も少なからずいる。急に引き戻されて、目の前が真っ暗になることもある。

 後悔だけはしたくない――そう考えながら生きていたはずなのに、穏やかな日常の海に体を浸からせていると、感覚まで鈍くなってしまう。

 最寄りの地下鉄に向かって走っていると、腕を引きつかまれた。息を切らした高木が、雑踏の中から顔を見せる。

「どこに行くつもりなんだ」
「あの葉月さんって人を連れ戻してきます。ちゃんと話してください」
「……まいったな」

 がっしりとした肩を上下させながら、高木は首をたれた。整えられていた金色の髪をくしゃくしゃとかきむしって、湊人を見つめる。

「……本当は、こわいんだ」

 湊人の腕を離すと、高木はそうつぶやいて、首にかけたネックレスを引っぱった。

「これの持ち主の祥太郎さんって人が死んだとき、俺はおまえと同じ高校三年だった。人生を賭けてもいいと思ってた人が突然いなくなって、それ以来、人と深く付き合うのを避けてきた。失うのがこわくて、本音をぶちまけるのもやめた。だから彼女には何も言わなくていい」

「高木さんが幸せになれないなんて、オレはいやだ」
「おまえ、俺の言ってる意味、わかってるか?」
「わかってます。死に別れる苦しみだって知ってます。それでもオレは前に進みたい。ちゃんと生きて、大切な人を守っていきたい。だから高木さんも」

 必死になってそう言葉を紡ぐと、高木はあきらめたように体の力を抜いた。

「かなわないな、おまえには」

 高木は携帯電話を取りだすと、時刻を読み上げて言った。

「きっとまだ終電を待ってるだろうから、つかまえて連絡先聞いてくるよ。それでいいか?」

 眉を下げたままふわりと笑ったので、湊人は何度もうなずいた。高木は長身をひるがえし「先に店に戻ってろ」と言って地下道の中へかけ下りていった。

 広い背中が見えなくなるのを待って、湊人は来た道を戻っていった。冷静になってようやく、さしでがましい真似をしてしまったのではないかと後悔もかすめたが、それでもやっぱり高木が心から笑っているところを見てみたい、と思った。

 ふと携帯電話の電源を切ったままにしていたことを思い出す。店に戻るなりあわてて従業員室にかけこむと、バックパックの中をあさった。案の定、健太と晴乃からいくつもメッセージが届いていて、湊人はひとつずつ目を通していった。

 その中に「ライブおつかれさま!」の文字を見つけた。送り主は悠里だった。夜景に映える彼女の笑顔を思い出して胸が焦げつくように熱くなる。

 文字を打とうとして、やめた。今、胸の中にある煮えたぎるような思いを文字にしてしまうのが惜しい気がした。

 「倉泉悠里」の携帯番号を画面に表示させる。本体を握って息を吐く。

 どうしても声が聞きたい――そう考えると、もう体は言うことを聞かなくなっていた。

 湊人はためらいなく「通話」ボタンを押して、高鳴る心音をこらえながら携帯電話に耳をよせた。

                              (おわり)