カフェ・テクタ 1
窓の外でけたたましい音が鳴った。
ひょろっとした電柱の下、古い水道管の工事が始まった。痩せた男たちが、アスファルトを破壊しはじめた。めりめりと、古い表層が取りはらわれていく。女はしばらく工事を眺めたあと、またどこかへ電話をした。
「にせものの場合は、たいてい小さな手帳の後ろを開くの。そして数字を見せる。絶望に近い数字は、いつも最後あたりに載っている。でも、別の日に、ちがう人が、こう囁いたの。君に、あたらしい命は生まれるって」
女は舌舐めずりをした。潤んださくらんぼのようなベロだった。腹のふくらみを撫でて、また別の場所に電話をした。
「その間の温度管理には細心の注意をはらいたいの。最高の味を損ねたくない」
青い罫線の入った、小さな紙片に、メモやら落書きをしている。
一体、誰になんの話をしているのか。
俺は女をしみじみ眺めた。電話の内容は、仕事なのかもしれない。また時折、誰かを励ましているようでもある。人あたりはいいし、頭はわるくなさそうだ。それに、若くはないが、甘ったるい声と所作は、レモンシトロンケーキの香りとそっくりだ。
機械が琥珀の液体を絞り出すのを待ちながら、背の高いガラスの瓶にクラッシュした氷を山ほど積んだ。ホットを急速に冷やすと、酸味が減り、コクが深まるのだ。面接は途中だが、採用の意思を伝えようと思った。
しかし、女のまばたきの奥の影に、やはり恐怖を覚えた。深い影だった。彼女を雇った場合、殺人犯を招き入れることになるかもしれない。多少の従業員の面倒なら、目をつぶってもいい。人は失敗や過ちを犯すから愛に満ちるのだ。しかし殺人となると話しはちがう。
「袋にひとつぶひとつぶ詰めるときに、それがダイヤより価値があることを知るんです。匂い、重さ、暖かさ。すべて星の轟きなの」
電話の向こうの相手に何かを勧めるその声は、やさしく昂ぶっている。ほんとうに、彼女が人を殺したのだろうか? 人を殺す人間が、こんなにも美しいことを言うものだろうか。
「カフェ・テクタ。素晴らしい味なのよ。カフェ・テクタ。レモンを絞ったって、おいしいのよ。母体の土は黒い水晶でできている。雨季には雪豹がうろついて、表土をかきまぜる。夜には子供たちが樹の下で眠る。飲んだ人は、かならずミルクの夢をみる。豆が膨らむのは、ゆっくりゆっくりゆっくり。翠がかった豆を、美男が歌いながら摘む。エジプト綿の袋に入れて、やわらかい紐で縛って、みんなでそっと取りかこんで、リーファーコンテナで運ぶ」
時計を見た。街路でユンボが旋回していた。四角い穴の淵に、日焼けをした男たちが腰掛けている。足をぶらぶら揺らし、時折このカフェに停まっているキャデラックを指差す者もいた。
俺はアイス珈琲を彼女の前に置き、すすめた。
「ブコバです」
女は頷いて、赤と白のストライプのストローに口をつけた。
女は目を閉じた。
「ふうん」
それだけだった。誉めることも、礼を言うこともしない。
「気に入りませんか?」
「だってなにも感じないわ」
愕然とした。
「何がいけないんです?」
「なにも感じないだけ」
「この味を好きな客は大勢いる。繁盛しているからウエイトレスの求人を出したんだ」
首から上に熱が昇った。蔑まれているような気分だった。カフェというシステムを築きあげるのは簡単ではなかった。材料の管理にも細心の注意を払ってきた。ドアは誰に向けても開かれている。どんな客が来ても拒みようがない。それでも歯を食い縛って続けてきた。