カフェ・テクタ 1
エマは首を振った。そして、携帯電話を耳にあて、どこかへ電話をかけた。
電話は話し中だったようだ。エマは電話を仕舞い、またアイパッドを眺めた。
「後ろから殴られたって」
「後ろからじゃないわ」
エマは、こっちを見なかった。小さい声で言い直した。「誰も死んでないし」
「しかし、殺人事件があったと、たしかに新聞で報道されていました」
「それより、あのライム色の制服をたしかめさせてください」
黒白格子のカウンターに置いていた制服を指差した。俺は頷いて、制服を渡した。彼女は立ちあがり、丈を調べたりしていた。ビンテージ風のワンピースで、襟と袖の部分に白のラインが入っている。かたちのいい黒髪からのびるしなやかな首の線によく生えるだろう。しかし、彼女はウエストのサイズを気にしているようだった。少し悩んでいる。一目瞭然なのだが、彼女はまだ、自分が妊婦だと打ち明けなかった。
「料理の時はエプロンをつけていいんですか」
「ええ、白のフレンチ袖の」
「レモンシトロン・ケーキも、ウエイトレスが作るんですか」
「そうです。ソーダアイスとか、珈琲など飲み物も」
「珈琲は好きです。だから、淹れ方もよく知っています」
俺は彼女の腹部を見て迷ったが、いちおう勧めてみた。
「カフェインは大丈夫かな。うちの珈琲、飲みますか?」
女はようやく笑顔を見せ、上機嫌になった。おそらく珈琲が好きなのだろう。嬉しくてたまらないといった表情を見せ、首を延ばしてカウンターを眺めた。はやく作ってきて欲しそうだった。
「わたし、だいたい夕食の支度には、3時間かかります。それでも雇ってくださるのでしょうか」
俺は口を開いた。そこでスマートフォンが短く振動し、当番の従業員が昨日の売り上げをメールで送ってきた。俺は立ち上がって銀色の機械のスイッチを入れた。細かな豆を勢いよくタンクにぶち込む。湯気の香りをかいだあと、レジの黄色いボタンを押す。
札束をかぞえると、女はこちらをじっと見た。目があうと、逸らすように窓の外を見た。
棚の下に、昨日の新聞が落ちている。女はアイパッドで銘柄かなにかを調べ始めている。俺はそっと新聞を広げた。27日午前7時頃。まちがいない。八角町の砂白水族館一階で、男性の遺体が発見された、という記事が目に入る。水族館では、ホオジロザメの飼育を始めるため、巨大な水槽を作る工事を行っていた。水の供給のため、水道管の新設工事を行っている工事関係者が、死体を発見したという。
女のようすを、ちらりと伺う。