カフェ・テクタ 1
カフェ・テクタ
第一章
彼女はアイス珈琲に口をつけたあと、アイパッドで今日の銘柄を調べて、まだ迷っている、と呟いた。なにを迷っているかは、言わなかった。
17分前に、ビンテージもののキャデラックに乗って、ここに現れた。デビルス色のキャデラックには、真っ白いストライプが入っていた。ちょうど町では殺人事件があったばかりで、派手な外車が、事件のあった水族館から出て行くのが目撃されていた。だから、おや、もしや、と思ったのだった。
たしか被害者は30代後半の役場勤務の男だった。役人にありがちでけっこうな借金を抱え、陰湿で、女癖が悪かったと噂される男だった。目撃された外車の色や特徴はどんな風だったか、と店のパソコンを開いて、調べようとした。
女が車から出てきたら、かたちのいいヒールが目に入って、そのことを忘れた。60年代の人形のようだった。ミント色のシフォンのブラウスは廉価なものだとわかったが、風になびく黒のショートヘアーを引き立てていた。ひきしまった脚の流線型が美しかった。
ドアを開けて迎え入れると、
「料理はだいじょうぶなんですが、時間がかかるんです」
とひどい顔色で言った。腹を見ると、月面に似たふくらみがあった。
俺はまたキャデラックに目をやった。ボンネットが大きいから、推計学的なブルー色の窓が小さく見える。あの中の運転席にこの女が座っていたら、ほんとうに人形のように見える。妊婦のようだが、色気があった。
カフェの窓際の椅子に座らせて、ライムグリーン色の制服を見せた。女は小さく頷いた。
夏のまぼろしのようだった。肩より短い髪の先が、かたかた震えていた。星屑に似た、脆くてあやういネックレスが肌に張りついていた。彼女は、店のカフェ・サインをみあげては、また震えた。夜になると、カフェのサインはぴかぴかネオンのように煌めくことを、教えてやった。
俺は履歴書に目を通した。年齢は43歳。独身のようだ。ワイルドベリーの香りがする。瞳が紫がかっている。甘い雰囲気がある。いろいろ尋ねようとした。腹の中のこどもはいつ生まれるのか。名前は岡崎エマ。17年間のブランクの間、ただのいちども仕事をしていなかったのか。
俺は口を開いた。面接で訊くべきこと以外のことを、訊いていた。
「あの古い水族館を、知っていますか? 町外れの大きなやつ」
しかしエマは応えず、面接の途中というのに、鞄からアイパッドを取りだした。
「先週の土曜日、その水族館で人が殺されていたそうですね」
俺はまだまだ訊いた。「たしか、男が鈍器で後頭部を殴られて、死んでいたらしい」
女は画面にくっつけた指を規則的に動かしていた。
「いいえ」
第一章
彼女はアイス珈琲に口をつけたあと、アイパッドで今日の銘柄を調べて、まだ迷っている、と呟いた。なにを迷っているかは、言わなかった。
17分前に、ビンテージもののキャデラックに乗って、ここに現れた。デビルス色のキャデラックには、真っ白いストライプが入っていた。ちょうど町では殺人事件があったばかりで、派手な外車が、事件のあった水族館から出て行くのが目撃されていた。だから、おや、もしや、と思ったのだった。
たしか被害者は30代後半の役場勤務の男だった。役人にありがちでけっこうな借金を抱え、陰湿で、女癖が悪かったと噂される男だった。目撃された外車の色や特徴はどんな風だったか、と店のパソコンを開いて、調べようとした。
女が車から出てきたら、かたちのいいヒールが目に入って、そのことを忘れた。60年代の人形のようだった。ミント色のシフォンのブラウスは廉価なものだとわかったが、風になびく黒のショートヘアーを引き立てていた。ひきしまった脚の流線型が美しかった。
ドアを開けて迎え入れると、
「料理はだいじょうぶなんですが、時間がかかるんです」
とひどい顔色で言った。腹を見ると、月面に似たふくらみがあった。
俺はまたキャデラックに目をやった。ボンネットが大きいから、推計学的なブルー色の窓が小さく見える。あの中の運転席にこの女が座っていたら、ほんとうに人形のように見える。妊婦のようだが、色気があった。
カフェの窓際の椅子に座らせて、ライムグリーン色の制服を見せた。女は小さく頷いた。
夏のまぼろしのようだった。肩より短い髪の先が、かたかた震えていた。星屑に似た、脆くてあやういネックレスが肌に張りついていた。彼女は、店のカフェ・サインをみあげては、また震えた。夜になると、カフェのサインはぴかぴかネオンのように煌めくことを、教えてやった。
俺は履歴書に目を通した。年齢は43歳。独身のようだ。ワイルドベリーの香りがする。瞳が紫がかっている。甘い雰囲気がある。いろいろ尋ねようとした。腹の中のこどもはいつ生まれるのか。名前は岡崎エマ。17年間のブランクの間、ただのいちども仕事をしていなかったのか。
俺は口を開いた。面接で訊くべきこと以外のことを、訊いていた。
「あの古い水族館を、知っていますか? 町外れの大きなやつ」
しかしエマは応えず、面接の途中というのに、鞄からアイパッドを取りだした。
「先週の土曜日、その水族館で人が殺されていたそうですね」
俺はまだまだ訊いた。「たしか、男が鈍器で後頭部を殴られて、死んでいたらしい」
女は画面にくっつけた指を規則的に動かしていた。
「いいえ」