からっ風と、繭の郷の子守唄 第101話~105話
最奥部にあたるこの辺りで、夜空が2分されていく。
平野部の色とりどりのネオンの海は、地上と空の境を乳白色に変えている。
高度を上げていくと、夜空は、濃紺色の色合いを深くしていく。
北の空は、それとはまったく対照的だ。
山ばかりが続いていく北の空は、真っ暗闇だけがどこまでも続いていく。
下界からの光を一切持たない北の空には、星が降るように群れている。
いわゆる満天の星たちだ。
空気が冷え、木枯しが吹き荒れるこの時期になると、視界を遮っていた
大量の水蒸気が消えていく。
風が吹き荒れたその翌日には、透明度を増した夜がやって来る。
星たちが、さらに輝きを増して現れてくる。
『こんな綺麗な星空を、久しぶりに見たなぁ・・・・』
頭上の星を見上げていた康平が、突然、懐かしい場所を思い出す。
美和子と出かけたことのある見晴し台が、日帰り温泉のすぐ近くに
建っている。
デートと呼べるほど、洒落たものではない。
夏休み中、バイクで出かけていた康平が、山道を歩いていた美和子と出会った。
近くの見晴台まで、2人でツーリングをしただけのことだ。
赤城山の広大な南面には、綺麗に整備された観光道路とは別に、
中腹に点在する別荘地などをつなぐ道路が有る。
さらにそれらをつなぐ枝道と、抜け道などがいたるところに作られている。
そうした道路に、観光客向けの見晴らし台が設置されている。
山麓一帯を覆いつくしている雑木林が、途切れるあたりにそれは建てられた。
眺望が開ける高台からは、よく晴れた夜ならば、南に埼玉県の市街地を
楽々と望むことができた。
『いつかまた、今度は2人で、夜景を見に来ようね』
そんな約束を交わした記憶も残っている。
そこなら、誰にも邪魔されることはないだろう。
納得できるまで、ゆっくり、千尋と話し合えるだろう。
そんな考えが、康平の頭の中をよぎっていく。
たしかに。これから語り合う内容は、他人にはあまり聞かれたくない。
露天風呂から出た康平が、自販機で冷えたコーヒーを買い求める。
火照りつづけている頬へ、買ったばかりに冷たい缶を押し当てる。
そのまま、回廊のベンチへ腰を下ろす。
通りすぎていく入浴客たちの姿を、上目使いで見送りながら康平が
冷えすぎているコーヒーを、ひとくちだけ含む。
(おいおい。危険だな。
とてもじゃないが冷えすぎていて、11月に飲むコーヒーの温度じゃない。
それでもあえて、ここまで冷やしてあるのは、塩化系の
温泉の火照りのせいだな。
露天風呂に10分ほど浸かっただけで、汗が吹き出して止まらない。
大丈夫だろうか千尋は。長風呂なんかすると、今頃はきっと、
真っ赤な『茹でダコ』になっていることだろう・・・)
2口目を飲みかけたとき。千尋が女湯からひょっこりと顔を出す。
上気しきっている頬は、見るからに、津軽のりんごのような赤い色をしている。
「天然温泉を、すっかり満喫できたようだね。
顔に、そんな風に書いてある」
「あら。コーヒーなんか飲んでるん?
ビールでもよかったのに。あたしが運転をするんだもの、
遠慮なんかしなくても」
「ふと、良い場所が有ることを思い出した。
夜景の絶好スポットだ。
ここからならそんなに遠くないから、簡単に行くことができる。
そう思い、アルコールは自粛した」
「この温泉からのロケーショーンもむちゃ素敵どす。
ですが、さらに上が有るんどすか?。
そら楽しみどすなぁ。でも、・・・・
もしかして、いかがわしいような場所ではないでしょうなぁ。
あたしは、いろんな意味でむちゃきちゃ臆病で、勇気も足りておらん女どす。
変な下心なんか、持ってへんでしょうね、康平くん」
「君の言う、いかがわしい場所という定義はよくわからない。
別荘地へ向かう途中にある、観光用として建てられた見晴らし台さ。
眺望が良いので知られているが、この時期になると、木々の葉が落ちて、
さらに眺望が良くなる」
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 第101話~105話 作家名:落合順平