あの綿毛のように
三
「ただいまぁ」
「おじゃましまぁす」
「疲れたー」
そう言いつつ靴を脱いでリビングまで行く。時刻は六時半。自転車を飛ばしたので思いのほか早めに着いた。二階の窓から明かりがついていたので、海はもう帰ってきているらしい。
佐々木さんは靴が脱ぎづらいのか玄関で足元をずっともぞもぞと動かしている。荷物を置いてリモコンでテレビをつけると夕方のローカル番組がやっていた。テレビでは一般人の奥さんがお題の絵を描いている。
「それ、なに?」
ようやく靴を脱いだ佐々木さんがリビングに来るとそういった。
テレビにはぐにゃぐにゃの棒人間が階段らしきものの上に居て、その先には四角形の箱みたいなものがいくつもつながっている絵が映っていた。
「地下鉄だと思うけど」
「あぁ」
そのとき、二階から階段を降りてくる足音が聞こえてきた。
「ただいま」
リビングに入ってきた海にそう声をかけると、海は「おかえり」と返したあと、佐々木さんを見て、「空姉ちゃん来てたんだ」と呟いた。
「海くん、おみやげ」
しゃがんで袋をなにやらごそごそとしていた佐々木さんは、立ち上がると同時に海に手を差し出した。その手には女の子向けのアニメキャラクターのお面が握られていた。
「えぇ? なんでそんなものなわけ?」
「冗談、冗談」
手に持ったお面を被りながら笑った佐々木さんは、次に袋からくじ引きで当てた安そうなエアガンを取り出した。
「これしか当たらなかったんだけど」
お面を被ってエアガンを持つ佐々木さんは、傍から見ると不審者のようだった。海はそんな佐々木さんからエアガンをうれしそうに受け取ると、あっちこっちに向けてエアガンを構えだした。それを見て「撃たないでよ」と注意すると、不満そうに「わかってるよ」と答える。
「ところで、お茶飲んでいいかな。のど渇いちゃった」
「全然いいよ」
冷蔵庫に向かった佐々木さんを横目に、私は今回のお祭りの戦利品をテーブルの上に並べる。
暖かいものでまとめていたので、以外にどれも冷めていなかった。
「晩御飯の準備完了」
「手抜きだね」
「うっさい。晩御飯抜きにするよ」
「げ、ごめんなさい」
「どうしようかなー」
そういうと海は「死んでお詫びを」、なんてふざけてエアガンの銃口を頭に向け、「パーン」と声を上げて倒れた。
「わかった、わかった。許しましょう」
「復活!」
むくりと起き上がった海は、お祭りに行ったからかいつもより機嫌がよさそうだった。
「お茶持ってきたよ」
お盆に三つのコップを持って佐々木さんが戻ってきた。
「あ、わざわざありがとう」
「早く食べようよ」
海が急かしていたけれど、ふと「手、洗ってないや」と座ったばかり佐々木さんが立ち上がったので、私も立ち上がって洗面所へ向かう。
リビングから海の声が聞こえてくる。私があのくらいのころは、あそこまで子供っぽかっただろうか、と不意に思う。男と女とでは女のほうが精神年齢の上がり方が早いというようなことを聞いたことがあるけれど、海を見ているとそれは本当なんじゃないかという気がしてくる。
リビングに戻った私たちは海に促されてそれぞれの位置に座り、戦利品たちを食べることにした。
時刻は六時四十分。急いできたので多少時間に余裕ができている。この分で行けば食べ終わるころに花火が始まるかもしれない。
まだ多少暖かい食べ物たちは、お祭りの余韻をこの家にまで連れてきているようで、どこか楽しい雰囲気のまま食事は進んだ。
そうして時計を見ると、時間はちょうど七時。開け放した窓を見ると今まさに一発目の花火が打ちあがるところで、私は窓際に寄ってそれを見た。
明るく、儚い花びらが空を染める。それに遅れて、力強い音が響き渡った。
「佐々木さん、どう? ここから見る花火は?」
なかなかに綺麗でしょう、と言葉を続けようとしたのだけれど、首もとのひやりとした感触に思わず変な声を上げる。
後ろを振り向くとラムネの瓶を三本持った佐々木さんがにやりと笑っていた。
「一杯いかが?」
ひやりとした感触を感じたとき、とっさに首元に当てた左手でそのラムネを受け取る。
「あ、ありがとう」
「トイレ行ったときに見つけて買っておいたの冷蔵庫に入れといたんだ。――海くん」
佐々木さんは海にもラムネを渡し海と二人で私の居る窓際に来ると、網戸を開き始めた。
「何するの?」
「ラムネを開けなきゃ。ほら、吉岡と海くんも」
そういってラムネを持った手を窓の外に出すので、慌てて私と海もそれをまねる。
「せーの!」
佐々木さんの元気な声にあわせて、私たち三人はラムネの瓶を思い切り叩く。『ポン』と軽い音が三つ耳に届いた。
「あーもったいない!」
また三人で同時にラムネを口元に持っていく。少しこぼれたラムネは瓶を伝い、ぽたぽたと小さな水溜りを三列分作っていく。
ラムネなんて、いつぶりだろうか。
暖かい食べ物で残っていた祭りの余韻は無くなったと思いきや、冷たいラムネがまた祭りの空気を運んでくれる。
自然と笑顔がこぼれた。
ただ水溜りが三列できた、そんなくだらないことが面白い。
力強い音につられて外を見ると、花火がいくつも上がっている。
「ここから見る花火……綺麗だね」
「そうでしょ」
花火は何度も何度も夜空を彩った。それは一瞬の儚い光で、あたりはすぐに暗くなってしまう。けれど、儚いからこそ私たちの心にぎゅっと響くのだろう。
部屋の電気を消して、三人で言葉も交わさずにじっと花火を見つめる。なぜだか無性に泣きたくなったけれど、その衝動をぐっとこらえる。
今はただ、三人でこうして居たかったから。