あの綿毛のように
二
放課後に家の前の坂道をやっとの思いで登りきった私は、シャワーで軽く汗を流して身支度をした。
海は家にいたが、祭りへはどうやら学校の友達と一緒に行くらしい。もしかしたら、向こうで会うこともあるかもしれない。
家にある服のうちできるだけ涼しそうなものを選んで、自転車の鍵をカバンに入れれば準備は完了。ちょうどそのとき、佐々木さんから『もうすぐ家でるよー』とメールが来たので私も返事をしてから家を出ることにした。
自転車で坂道を下り、風に髪をなびかせる。太陽の光と風がちょうどよく、しばらくの間心地よい状態が続く。
下りの勢いをつけたまま、学校までの道をさっきとは逆に走り抜けていく。何人か、帰っている途中であろう見知った顔とすれ違った。私に気づいて手を振る人、ちらりと見て手を上げてくる人。それぞれにそれぞれの対応を返し学校に着いたときには、すでに佐々木さんが待っていた。
佐々木さんは私に気づくと、降りていた自転車にまたがり私の先を漕ぎ出した。ここから祭り会場までは自転車でおおよそ一時間。遠いけれどいけない距離ではない。何しろ私たちはまだ高校生なのだから、体力は十分だ。お金の節約にもなるし、ダイエットにもちょうどいい。
「海は友達と行くんだって」
先を走る佐々木さんの横に並んで伝える。
「そっか」
ならしょうがない、と呟いたきり、私たちは自転車を会場に向かって走らせ続けた。
沈黙と言うのは、不快なものとそうでないものがあるけれど、この沈黙は不快なものには感じられなかった。
走り続けて四十分、あたりには浴衣姿の女の子やどこか浮き足立った様子の人々が増えてきた。
「カップルが多いね」
少し減速して、隣に並んできた佐々木さんがうらやましそうに言った。確かに、浴衣姿の女の子の隣には決まって男が並んで歩いていた。
「対抗する?」
「どうやって」
「『お前の私服も綺麗だけど、浴衣姿だともっとかわいくなるな』」
「『うふふ、吉岡君ったら、もおう』」
信号が赤になったので、私たちも並んで止まる。その顔はきっと、信号に負けず劣らず赤い。
「ないね」
「うん、ない」
「そもそも、高校生でそんな歯の浮くようなセリフを言う男はいない」
「それを言うなら、今時の女子高生が『うふふ』なんて笑うこともない」
「うふふ」
「どう?」
「笑いづらい」
「だよね」
青に変わった信号を見て走り出した私たちは、祭り会場に着くまで特に会話らしい会話もなく進んだ。
祭り会場の駐輪場に自転車を止める。まだまだ明るい空のためか露店の明かりはどこも点いていなかったが、それでも祭り会場という雰囲気は十分すぎるほどにあった。
数え切れないほどの人とにぎやかな露店、ところどころから漂うおいしそうな匂いと、焼きそばやたこ焼きを焼くじゅうじゅうという音。その匂いと音を感じるだけでお祭りという、非日常に気分が高揚してくる。
「そもそも男役と女役で対抗したことが間違いだった」
佐々木さんがそう口を開いたのは、イカ焼きを買ってほお張り「こりこりしておいしい」とレポートをした後だった。
「男役をやるのはタカラジェンヌじゃなきゃ。吉岡には荷が重い」
私はきゅうりの一本漬けをぽりりと齧り(おばんくさい! と言われたが、好物なのだ)、佐々木さんを見る。
「じゃあ、女と女?」
「……もっとないか」
「一部には受けそうだけど」
「あ、イカ玉」
遠くに目をやると、『わたあめ』、『くじびき』等の並びの向こうに、確かにイカ玉の文字が見える。
「佐々木さん、イカ好きなの?」
「割と」
「そうなんだ」
人ごみをかいくぐりイカ玉の露店の前にまでやってくると、やはりここでもいい匂いといい音がした。イカ玉を買おうかどうか悩んだけれど、財布と相談をした結果我慢することにする。
その隣で佐々木さんはイカ玉を露店のおじさんから受け取っていた。
「そういえば、花火は何時?」
佐々木さんからそう聞かれた私は、おもわず携帯を取り出して時間を確認した。ただいまの時刻は午後五時。会場についてから大体一時間くらいだろうか。空は太陽が傾き始めたかな、という感じだ。
「たしか、七時からだったと思うけど」
「じゃあまだ時間あるんだ」
「あ、でも海は六時には帰ってきているから私も早めに帰らなきゃ」
「それもそうだ」
六時過ぎには家に着くようにと決めた後、私たちはおみやげと称して露店でたくさんの買い物をした。
定番のたこ焼きからお好み焼き、味噌おでん、フランクフルト。シロップとサイダーを混ぜ、氷で量を多く見せたトロピカルジュース。これは二人で「割高だよね」と笑いながらブルーハワイ味をひとつ買って、回して飲んだ。
さっさと買い物を済ませて帰ろうと思っていたけれど、ほかにもいろいろと買いすぎて、気づけば時間は五時半になっていた。やってしまったな、と思って佐々木さんに知らせようとするが、いつの間にか彼女の姿はない。
「あれ? 佐々木さん?」
はぐれてしまっただろうか、と思っていると突然肩に勢い良く手が乗せられる。
「ごめん、ごめん。ちょっとトイレに行ってた」
「なんだ、迷子になっていたわけじゃないの」
そういうと佐々木さんは「当たり前でしょ」と私を小突いてきた。
「あぁ、そうだ。もう五時半過ぎちゃってるよ」
私を小突いた後に佐々木さんは携帯の画面を見せて言った。六時過ぎに着くようにと言っていたが、これでは間に合いそうもない。
「そう、それを私も言いたかったの。帰らなきゃ」
「帰りますか」
食べ物でいっぱいの袋を持って、私と佐々木さんは駐輪所へ戻る。
カゴに荷物を入れ、自転車を走らせる。しばらく走っていると、自転車のオートライトが少し先の道路を申し訳程度に明るく照らし始めた。
行きとは違い、あたりにはこれから会場に行く人以外に帰る人たちも混ざっていた。水の入ったヨーヨーや金魚を手に、親と一緒に歩く楽しげな子供たち。その姿に少し、うらやましさが募る。
「いいな……」
ぽつりと口からこぼれた言葉は、誰にも聞かれること無く宙へと消えていった。