あの綿毛のように
三
電車が目的地に到達したのは、午後一時過ぎだった。
あの後トイレから戻ると、二人は私のことをしきりに心配してくれた。何度も何度も聞いてくるので、思わず笑ってしまうと二人とも安心してくれたようだった。
「ビルだ」
海が改札から出てポツリと呟いた。
「舗装されてる」
私もその後にならって呟く。
「馬鹿にしてんの?」
最後に佐々木さんが呆れた顔で私たちに言った。
「さらにバスで一時間。安心しな、そこにビルは無いから。舗装は……大体してるけど」
そう言いながらバス停に向かって歩き始めた佐々木さんの後を追いかける。冷房の効いていた車内からの差で、外は実際の気温よりも暑く感じた。
バス停の時刻表を見てみると、意外にもバスは通っているらしく、十五分後にはバスが到着するみたいだった。
それまでは、取り留めの無い話で時間をつなぐ。毎年、海の夏休みの宿題を手伝うことになることや、高校の社会科の内容を仰々しく海に教えたりする。
バスはここが始発らしく、出発時刻の三分前にはバス停に到着していた。
整理券をとって、後ろの五人がけに三人で座る。私たちが向かう側に来る人はあまりいないらしく、車内は人がまばらだ。
壊れるのではないかと思うほどの揺れを感じながら、バスは発車し始めた。佐々木さんの言うとおり時間が流れるほどにビルの数は減っていき、とうとう特急の中で飽きるほど見た緑一色の景色になってしまった。
そこからさらに数十分走り着いたバス停は恐ろしくおんぼろで、まるで別世界に迷い込んだかと思うほどだった。
「こっちだよ」
佐々木さんは大きめの声を上げた。あたりは蝉の合唱で、声が聞こえづらい。そんなことでも、物珍しさに夢中になってしまう。
海は「うるさいなー」と言いながらも楽しそうだ。
歩いて十五分、佐々木さんが「ここだよ」と言った家は平屋だった。家の周りにはブロック塀が立っており、雪が積もらないように斜めになっている青い屋根は、トタン製に見える。その屋根の一番てっぺんの端には煙突が一本伸びていた。田舎だからなのか、お金持ちなのかわからないけれど、家は結構広そうだった。
「すごい」
「何が?」
「なんというか、ザ・田舎の家って感じ」
「まぁ、最近平屋なんて珍しいよね。ここでは違うみたいだけど」
あたりを見回す佐々木さんの真似をして、私もあたりを見回してみる。ここから見えるいくつかの家は、どれも平屋みたいだ。
「行くよ」
「はいはい」
玄関に三人で向かう。玄関は木の枠でできた引き戸で、曇りガラスが挟まっている。
佐々木さんはその引き戸をこぶしでドンドンと叩いた。
「おばあちゃーん。空でーす」
しばらくすると、奥のほうからなにやらごそごそと音が聞こえてきて、曇りガラスの向こうに人影が見えた。その人影が引き戸に手をかけてぐいっと開くと、あたりに耳をふさぎたくなるようなきいきいとした音が響く。
「おばあちゃん、まだ玄関直してないの?」
「そのうち、そのうち、ってうちに、一年くらいぽんと過ぎてしまってねぇ」
中から出てきたのは、長い白髪を後ろにまとめた女性だった。個人的には、おばあちゃん、というよりも、おばあさん、という言葉のほうが似合う気がする。
背筋はあまり曲がっておらず、しわも多いと言うわけではない。優しそうではあるけれど、孫に甘いわけではない。そんな見た目だ。
「そちらの二人が、空の言っていた子たちね」
おばあさんが目じりにしわを寄せて笑い、こちらを見る。
「あ、はいそうです。えっと、こっちが弟の海です」
「ど、どうも、こんにちは」
「で、私は吉岡……は海もそうなんで、えーと、私は緑っていいます」
「海くんに緑ちゃん、よろしくお願いしますね」
「は、はい! 今日から一週間、よろしくお願いします」
「お願いします!」
私と海がぺこりとお辞儀すると、おばあさんは「はいはい」と優しく言って同じようにぺこりとお辞儀をしてくれた。
「吉岡」
「なに?」
顔を上げて佐々木さんを見る。
「吉岡の名前って、緑だったんだ」
「……同じクラスなのに、知らなかったんだ」
こうして、私にとって異世界である田舎暮らしが始まった。