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カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅲ

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 七時前になり、美紗は地下鉄の改札を抜け、地上に出た。四車線の大きな通りは、ビルの明かりや車のライトに満ち溢れ、眩しいくらいだった。オフィスビルが立ち並ぶ中に、重厚な構えのブランドショップや高級レストランが点在している。行きかう人々のほとんどはスーツ姿で、十代の若者はまず見かけない。洗練された、いわゆる大人の街だ。

 日垣から渡された紙に書いてあった電話番号は、美紗の携帯に登録してあった統合情報局第1部長の官用携帯のものとは違っていた。しかし、電話がつながると、出たのはやはり日垣だった。彼に指示されるまま、美紗が見知らぬ街の大通りを歩いていくと、しばらくして、後ろから「鈴置さん」と声をかけられた。私服を着た日垣が立っていた。
 静かな笑顔を浮かべる彼は、官用携帯とは違う、スマートフォン型の携帯端末を手にしていた。剣襟に四つボタンの濃紺の制服をかっちりと着こなす昼間の印象に比べると、夜の街明かりに照らされた背広姿は、ずいぶんと柔らかな雰囲気だった。

 日垣は、美紗を先導して賑やかな大通りを歩き、すぐに細い脇道に入った。急に街灯が少なくなり、人通りがまばらになる。どこに行くのだろう。美紗が問うより早く、チャコールグレイの背広を着た大きな背中は、見知らぬ闇色の道をどんどん先へ行ってしまう。
 美紗の胸に、うっすらとした不安がよぎった。あの穏やかな眼差しの下に隠れるものを、自分はすでに知っている。知っていて、言われるままについて行っている。
今まで自覚したこともなかったが、心の底に、自分自身に対する投げやりな気持ちがあるから、自然と彼を追って足が動くのだろうか。歩きながら、美紗は自問自答した。

 どのような形であっても、職を失えば、同時に住む場所を失うことだけは確かだった。今住んでいるワンルームの自宅は、防衛省が独身寮として民間から借り上げているものだ。退職と同時に引き払わねばならない。
 美紗には帰るところがなかった。実家はあるが、ありふれた幸せがあったはずのそこは、すでに灰色の世界に変わり果ててしまっている。夢も温もりもない場所に埋もれるのと、虚偽の世界に生きる人間の後をついて歩くのと、どちらがマシなのかは、分からない。