カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅲ
第四章:ハンターの到来(4)-スパイ嫌疑①
美紗が統合情報局第1部に戻ると、「直轄ジマ」には、佐伯と富澤の二人しかいなかった。いつも丁寧な物腰の佐伯が、にこやかに声をかけてきた。
「鈴置さん、お疲れさま。特に問題なかったでしょう?」
美紗は、しどろもどろになりながら、担当セッションの記録内容を議事録にする作業が全くできていないことを伝えた。
「今からで全然問題ないですよ。比留川2佐は、急遽、外に出ることになって、今日戻ってきても、たぶんかなり遅いから」
「しばらくはうるさい奴が全員席空けだから、仕事はかどるぞ」
富澤が、太い眉を寄せて、パソコン画面を見つめたままぼそりと呟く。彼の発言が誰を念頭に置いているのかは定かでなかったが、普段から口数の多い二人の机の上はこぎれいに片付いていた。佐伯が、宮崎は内局側の会合に、片桐は指揮幕僚課程の部内勉強会にそれぞれ出ていて、二人とも五時半までは戻ってこないだろう、と美紗に教えた。そして、
「ミリミリ細かい『保護者』も、今、最後のセッションに出てるし」
と、付け足して、先任の松永の席を指さした。佐伯の言葉にニヤリと笑い返す富澤の横で、美紗は返事に困りながら、ぎこちなく席に座った。「直轄ジマ」に残る二人は、どちらかと言えば静かなタイプだったが、その分、言葉少なに他人を観察しているような感じもする。
美紗が、机の上のノートパソコンを開くと、佐伯が「そういえば……」と再び口を開いた。
「さっき日垣1佐から電話があって、今日中に鈴置さんの議事録を見たいと言ってたけど、できそう?」
日垣の名を聞いた美紗は、つい怯えたような目を佐伯のほうに向けた。しかし、佐伯は壁の時計に視線を移していた。
「日垣1佐のほうも、今は何かの会合に出てるらしいし、夜はさっきの会議の『お客さん』の接待があるから、見るっていっても、かなり遅い時間になるんじゃないかな。慌てる必要ないから、のんびりやって」
日垣の会合の相手は、おそらく対テロ連絡準備室長とその配下の者たちだ。秘密会合の内容を警察庁の側にどこまで伝えるか、今頃こそこそと協議しているのだろう。佐伯には、そのあたりのことは、やはり伏せているのだろうか。
「私と富澤君で作業を見てやってくれって頼まれたから、分からないところがあったら、ご遠慮なく」
「でも、鈴置さんのだけ『今日中』っていうのは、何ででしょうね。議事録なんて、そんなに急ぎでもないでしょうに」
富澤の何気ない言葉に、美紗は凍りついた。
作品名:カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅲ 作家名:弦巻 耀