からっ風と、繭の郷の子守唄 第96話~100話
「うふっ。妊婦を気遣う亭主みたいです。康平ったら。
せっかくの好意ですから、表のカフェまでこのまま歩きましょう。
5ヵ月目に入ると、流産の危険は少なくなります。
適度にからだを動かせと、先生からも言われています。
でもね、自分の体であって、自分のものじゃないような違和感があるのよ。
ゆっくり歩いて。優しくね。うふっ」
ゆっくり歩き始めた美和子は、たしかに全体的にふっくりとしている。
母乳の準備のために必要なホルモンが、胎盤で作られるようになる。
乳房が、だいぶ大きくなってきた。
皮下脂肪がついてきたため、おなかとともにおしりも一段と大きく見える。
体重も増えてきたために、見慣れたはずの美和子が康平には
一回り、大きく見えてしまう。
「本当にお母さんになるんだ。やんちゃだった美和子が・・・・」
「しみじみ見ないでください、照れちゃうわ。
母親になるのは、大変なのよ。
気苦労も多いし、大変なことばかり続きます。
お腹が大きくなるたびに、新しい不安とプレッシャーが増えていきます。
男の人には、理解してもらえないと思いますが・・・・」
病院裏手のカフェは朝のためか、客の姿は少ない。
入口に近く、通りが見える席を康平が選ぶ。
最後まで美和子の手を握り、椅子に座るまで身重の身体を介助する。
ドアには、来客を告げるチャペル風の吊り鐘がついている。
クリスマスを思わせるような鐘(ベル)が鳴った瞬間、最奥の席で
読書中の女性が、ふと顔を上げます。
『おや?』という顔を見せたあと、妊婦を世話している康平の姿を
微笑ましそうに見つめる。
(忙しい子ですねぇ。
過呼吸症の女の子のあとは、今度は妊婦さんの介助ですか。
どこかで見たことがあると思ったら、去年、クラス会のあとで立ち寄った
あの居酒屋の男の子です。
記憶がつながったけど、残念ながら、お店の名前が出てきません。
料理は美味しかったわね
最後に無理やりに作らせた『お茶漬け』が、とくに絶品でした。
なんて言う名前かしら。呑竜マーケットのあの子の、あの、お店は?)
見つめられていることにことにまったく気がつかない康平は、
美和子が落ち着くのを見届けてから、向かい側の席へどっかと腰を下ろす。
ハンカチで風を送りながら、美和子は涼しい顔のまま表の通りを見つめている。
(あら。少しだけ、ぎこちのない距離感が2人の間に有りますねぇ。
ということは、ご夫婦ではなさそうです。
では・・・こんな朝早くから一体なにがはじまるのかしら。
すこし興味をおぼえる男女です)
メガネの奥で目を細めた女が、再び読書中の本へ視線を落とす。
しかし。耳の全神経は、2人の席へきっちりと向けられている。
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 第96話~100話 作家名:落合順平