からっ風と、繭の郷の子守唄 第96話~100話
「貞ちゃんに心の病がある様に、
私にも、実は、あなたに知ってもらいたい病気があります。
私から電話が有ったと、美和子ちゃんに聞いたと思います。
群馬で心が許せる友人といえば、美和子くらいです。
今朝、思い切って相談しました。
あたしの秘密を、康平さんに話すべきかどうかって。
そしたらね、『勇気を持って前進しょう』とだけ、言ってくれました」
ためらいを秘めた千尋の瞳が、一瞬だけ、康平の横顔を盗み見る。
深呼吸するように。千尋が大きく胸をそらす。
もういちど、あらためて朝の青空を見上げていく。
千尋の唇が、かすかに開いている。
おそらく。自分の勇気を探しているのだろう。
時々見せる、千尋の癖のひとつだ。
まさに、ただいま思案の真っ最中という仕草そのものだ。
(深刻な話だな、きっと、おそらく・・・・)
康平も、千尋の横顔を見つめながら、次第に覚悟を整えていく。
『どこまで、どんな風に話せばいいんだろう』
思案している千尋の心の声が、ここまで聞こえてきそうだ。
(こんな時は近くへ寄って肩を抱くべきだろうか?。
それとも離れたまま平静を装って、静かに、次の言葉を
待つべきだろうか?・・・・
どうしたらいいんだろう。俺は)
息苦しい沈黙の時間が二人の間を流れていく。
こんな経験が少な過ぎる康平は、ただ狼狽えるばかりだ。
千尋の横顔を見つめたまま、ただ呆然と立ち尽くしている。
晴れた空は、どこまでも澄み切っている。
真夏よりも白さを増した雲が、気持ちよさそうに頭上を流れていく。
言葉を飲み込んだまま、青空を見上げている千尋の瞳が、
空の蒼さに染まっていく。
(秋の空は変わりやすいし、うつろいやすい。
あれほど美和子に励まされたというのに、私の心はうろついている。
ぐらついているどころか、このまま隠し通したいという気持ちになっている。
『女心と秋の空』って、こんな変わりようのことを例えるのかしら・・・・
どうしましょう。わたしからきっかけを、つくったというのに)
千尋の戸惑いは、一向におさまらない。
開けられている千尋の唇へ、右手の指が伸びてきた。
右手の指が、唇の上を滑っていく。
考え事に囚われたよきの、千尋の癖だ。
周囲を忘れたときや、何かに没頭しきった時に見せる仕草だ。
雲が流れていく空をみつめたまま、千尋の沈黙はどこまでも続いていく。
(無理しなくてもいい。また今度にしょう)
康平がつぶやこうとしたとき、ポケットで携帯が鳴りはじめた。
画面に表示されたのは、美和子の番号だ。
千尋は振り返りもせず、まるで『どうぞ』と言うように、ゆっくりと、
高空に浮かぶ雲の流れを、目で追いつづけている。
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 第96話~100話 作家名:落合順平