【創作】「幸運の女神」
古い書物の匂いが満ちた室内に、かつんかつんと靴音が響く。
案内してくれた事務員が、「ここですよ」と棚の一角を示した。ルシアナがお礼を言うと、相手は大したことないとばかりに微笑み、自分の仕事へ戻っていく。
カスケード教授とは、時間を決めて待ち合わせることになっていた。ルシアナは、手紙の写しが載っているという書簡集へ手を伸ばす。その時、一冊の本に目がいった。
無造作に置かれたそれは、どこか場違いな感じがする。滑らかな皮表紙に惹かれ、ルシアナはそろそろと手に取り、表紙をめくった。
達筆な字で書かれた一文が、目に飛び込んでくる。
『私の生涯唯一にして最高の友、ヴァリに捧げる』
それは、バートラム・チェンバレンの手記だった。
『私にとって、日常は単調な繰り返しだった。先王の血筋として、公爵の地位と辺境の城を与えられ、そこで朽ちるのをただ待つだけ。
和平協定が膿んだ平和をもたらし、生を実感出来るのは、決闘相手と対峙している時だけだった。』
バートラムは、決闘の介添え人をうさんくさげに眺める。小柄な男。身なりからして、それなりの地位にいる者だろう。見知らぬ相手なのは言うまでもないが、こめかみから生える二本の曲がった角は一体なんなのか。
こちらの不躾な視線に気づいたのか、相手は片眼鏡の向こう側で薄い笑みを浮かべる。バートラムは口を開きかけ、思い直して首を振った。どうでもいいことだ。介添え人がどれだけふざけた格好をしようと。
視線を、決闘相手へと移す。こちらも見知らぬ相手だ。どこかの貴族の兄だか弟だか親友だか。彼が本物なのか金で雇われたごろつきなのかは預かり知らぬが、それもまた、どうでもいいことだった。
自分も似たような立場だと、バートラムは思い返す。代理を頼んできたのは誰だったか。遠い親戚筋など、いちいち覚えてはいない。重要なのは、自分に決闘の代理人を頼んできて、それを引き受けたということだ。
バートラムは細身の剣を構える。相手が同様の態勢を取ったところで、介添え人が不意に近づき、何かを耳打ちしていった。
「何をしている?」
バートラムがいぶかしげな声を上げるのと同時に、相手は地面に膝を突く。何事かと駆け寄る間もなく、相手は自分の負けだと宣言した。バートラムは怒りの声を上げるが、相手の虚ろな目に、抗議しても無駄だと悟る。そのまま介添え人へと視線を向けると、相手は変わらぬ笑みのまま決闘の終了を宣言した。
「お前、何をした?」
バートラムの詰問に、介添え人はただ薄い笑みを返すだけ。何を言っても無駄な気がして、腹立ち紛れに地面を蹴る。
「失せろ。目障りだ」
「仰せのままに」
慇懃に腰を折り、介添え人は歩き去っていった。
バートラムは決闘相手を一瞥し、ふんと鼻を鳴らして背を向ける。戦意を失った者に、興味はなかった。
作品名:【創作】「幸運の女神」 作家名:シャオ