【創作】「幸運の女神」
『平穏だが、退屈はしていなかった。いつまでもこの日々が続くはずだった。私の愚かな振る舞いさえなければ』
朝食の席に届けられた一通の書簡に、バートラムは目を通す。にやりと笑って、ヴァリの前に放り投げた。
「どうやら、私の存在を思い出したようだ」
ヴァリは無言で手紙を開き、さっと目を通す。そこには、友人の代理として決闘を引き受けてほしいという依頼と、さる王族の署名が書き添えられていた。
上機嫌なバートラムに、ヴァリは気の進まない様子で視線を向ける。
「承諾するおつもりで?」
「無論だ。随分久し振りな気がするな。君を招いて以来だ」
ヴァリは手紙を丁寧に畳むと、バートラムの方へ押し戻し、
「断るわけにはいきませんか?」
と言った。
バートラムは弾かれたように身を起こし、「何を言うか!」と叫ぶ。
「そんなことが出来るものか。私の名誉に関わる。決闘から逃げた腰抜けと笑われるのだぞ」
「それがなんだというのです? 名誉が、それほど大切ですか?」
「何をっ」
興奮して言葉に詰まるバートラムに、ヴァリは「どうか、お断りください」と繰り返した。
「君に何の権利があって」
「友人としてのお願いです」
真っ直ぐに見つめ返してくるヴァリに、バートラムは腕を振り回し、顔を朱に染めて立ち上がる。派手な音を立てて、椅子が背後に倒れた。
「友人だと!? 卑しい悪魔の分際で、私に指図するな!!」
その瞬間、ヴァリの顔から表情が消える。バートラムはハッとして口ごもるが、言い淀んでいる間にヴァリが立ち上がり、深々と礼をした。
「・・・・・・これは、とんだ見当違いなことを申し上げました。お許しください公爵様。これ以上お目を汚してはいけませんから、わたくしはこれにて失礼させていただきます」
そう言って、バートラムの言葉も待たず、煙のように消え失せる。
日が落ちても、夜が明けても、ヴァリは姿を見せなかった。
召使い達は、苛立って周囲に当たり散らすバートラムを、首をすくめてやり過ごす。今度の客人は随分持ったと囁きあい、どうせこうなることは分かっていたと互いを慰め合った。
どうせ明日になれば主人もけろりと忘れるだろう、そして新しい客人を連れてきて、また束の間の平穏がもたらされるのだ。
作品名:【創作】「幸運の女神」 作家名:シャオ