ボンゴ
麻雪の家を修理し始めて九日目。
朝から、希絵との婚姻届を役場に持って行った。住居もなく、家具もない、旅館住まいの暮らしだったが、希絵は構わないと言った。
ポケットから皺くちゃの工事契約書を取り出し確かめる。変えるのは屋根の色と外ポーチの照明。古い木製のフェンスを塗り直す。二階の樋を金槌で叩いて、最後は軒板。
もう三日も麻雪と子供の姿を見ていない。ゆがんだ室外灯を引っこ抜き、その穴から導線を取り出す。引っ張っては捩じり上げ、また引っ張る。こんな二月の日に俺は生まれた。人生を棒にふる失敗をした。自業自得ってやつだ。まだ三十四歳なのだが、俺は失墜した。もう取り戻せない。二月の生ぬるい日、たぶん午前十時に母親は俺を生んだ。空は曇り。今日みたいに白くて、ぎらぎらとしていたはずだ。俺の母親は、長い間、病に苦しみ二年前に死んだ。俺は母親を見捨てた。母親から逃げた。救ってやることができなかった。これは五十センチ四方の穴だから、スコップで手掘りをすればいい。新しい街灯を打ち立てたら、根枷をつけてセメントの穴に突き刺す。きっと俺の生まれたことを、祝福していたに違いない。嬉しかったに違いない。素晴らしい人になるよりも、成功者になるよりも、心から魂を躍らせて生きて欲しいと思ったに違いない。だが俺は失敗者だ。今はその日暮らしの大工で、胡散臭い材料屋に勤める正体不明の女の家を修理している。おまけにその女は三日前から行方不明。
朝十時に八代署から刑事が来た。背が高くて顔色が悪かった。一人でやって来て言った。ボンゴの中で死んでいた男は、殺人じゃなくて病死だったと。