ボンゴ
こういう女が居たんだってことを誰かに言っても、おそらく誰も信じないだろう。年は十も上。相手を見るたび脇腹を肋骨を鷲掴みにされる。アカプルコの色が嫌い。弱いくせに、助けを求めない。アカプルコ色は、青の中で最高峰だ。麻雪と逢ってから、世界の歯車が真逆の方向に動くのを感じた。じっくりとした力で、世界が逆方向に回っていく。
翌日、麻雪は朝から不在だった。野外のサンドイッチの支度の後は無く、滅茶苦茶だったキッチンは、何事もなかったように片付けられていた。子供と朝食を食べた形跡はあった。屋外灯が付けっ放しだった。
俺は、その日、家の屋根をスクワム色に塗り替えて、夕方、三角の腐れ旅館の清風荘に戻った。そして近くの飲み屋に働く希絵という名前の女と、その旅館で寝た。髪を巻いて高く結っている女だった。メンソールの煙草を吸い、黒っぽい軽自動車に乗っていて、後部座席には、ぬいぐるみの類のものを並べていた。それ以外のことは、何も知らなかった。顔をはっきりとは見たこともないし、話もほとんどしなかった。それでも希絵と何時間も交わった。繰り返し、世界を動かす歯車に逆らうように。
余計に狂いそうになった。旅館の部屋は板壁がもうすぐ落ちそうで、窓が張り出していた。八畳間の真ん中の畳は破れ、床板も朽ちていて、常に青が波打っていた。壁のほとんどが窓でできていて、どこもかしこも海、海、海。そんな場所でよく知りもしない希絵という女を呼んで抱き、明け方には結婚することを約束した。雪豹を見たことがあるか、と聞いたら、あのめだまがへんな色のやつでしょう、と煙草をくわえながら応えた。