さあ、一緒に踊りましょう
「サトミが相手にするくらいだから、ハンサムで、お金持ちで、いい家柄に決まっているわよね」
「間違いじゃない。そのとおりよ」とサトミは勝ち誇ったように微笑んだ。
確かに間違いじゃない。でも、そんなのは上辺だけのこと。医術を除けば、他はみかけほど素晴らしくはない。少なくともサトミはそう思っている。
いつしか、サトミは窓の外の雲を眺めていた。そして、呟くように、「間違いじゃないけど、私は彼でなくともいいかも」
そうだ、ずっと前から思っていた。彼でなくとも良いと。誠実で浮気をしない男の方が良いとも。お金で心は買えない。どんな資産家と結婚しても心は満たされない。ずっとそう思っていたが、ついリスクを選ばず無難なところを選んでしまう。
「本気で言っているの?」とレイが聞くと、サトミは照れた。まるで小娘みたいに。
「今日は私の話じゃないでしょ? あなたの話よ、レイ。で、どうして欲しいの? まさか話をして、それで終わりということはないでしょ?」
「ジャガイモ君に会ってほしいの」
サトミは驚いた。
「ジャガイモ君に会う? この私が? 何のために?」
「私の気持ちを伝えて欲しいの。昔のようによりを戻したいと」
「何、バカなことを言っているの、レイ。小娘じゃあるまいし。もう三十一でしょ。立派な大人でしょ? で、この私にメッセンジャーになれと言うの?」と言うと、レイはうなずく。
サトミは笑った。あまりにもおかしくて涙が出てきた。
「私がメッセンジャーガール? それがあなたの望みなの。良いわよ。一回くらないなら。長年の友情に応えられるのなら。でも、よく覚えていて、一回きりよ。ジャガイモ君に会うのは。それから期待しないで。あなたの思い通りになるなんて、間違っても思わないで。人生はそんなに甘くはない。私は、人生経験もさほどあるわけではないけど、それだけは言える。それに、これがきっかけとなって、もし、私がジャガイモ君と恋に落ちたらどうする?」
今度はレイが笑った。
「ありえないでしょ? あなたとジャガイモ君と恋仲になる?」
レイは、そこで言葉を止めた。
「どうしたの?」とサトミが聞く。
「変なことを想像しちゃったの?」
「変なことって?」
「ごめんなさい。まだ朝だというのに。抱かれたときのことを思い出したの……とても優しかった。まるでピアノを弾くように触れてきた」
「あなたの頭の中はどうなっているの? 食欲と性欲しかないの。原始人みたいね」とサトミは溜息ついた。
「そうかしら?」とレイは鼻で笑うようなしぐさを見せた。
サトミは気になって、「何が言いたいの?」
レイは深くため息をついた後、「サトミも原始人だと思う」
サトミは一瞬、自分の心の奥を覗きこまれたような気がした。自分でも、この頃、特に意識している。自分の中に潜む女の炎を。ずっとくすぶり続けている。あれは二十歳の頃だった。海辺で出会ったかっこいい男のことをずっと引きずっている。彼は船乗りで、黒い岩のような肉体をしていた。その夜、抱かれた夢を見た。それ以来、同じような夢を見るようになった。男に抱かれた経験があったが、みな貧弱な肉体をしていて、射精する目的だけで抱いた。愛は形だけ。目的を果たすと、すぐに去った。そんな男たちとセックスをする度に、「一度でいいから燃えるようなセックスをしたい」という願望が強くした。海で出会ったあの男なら、それが叶えられる。いつしかそんな妄想を抱くようになった。そんな、サトミの心の奥底を見透かすような、鋭い視線でレイが見る。
サトミはこわばった顔で聞く。
「本当にそう思う?」
「嘘よ。冗談に決まっているじゃない。サトミはどんなときでも、リスクをとらない賢い女だもの」とレイは舌を出した。
「それは褒めているの? それとも、けなしているの?」
「どっちかしら? ひょっとしたら両方かも?」とレイは笑った。
あらためてレイはよく分からない女だと思った。決して単なる原始人ではない。深いところで、知性とは別のものかもしれないが鋭い何かがあった。
「でも、仮にサトミがジャガイモ君と深い関係になってもかまわない。私はただ自分の気持ちにけじめをつけたいだけよ。彼が『ノー』と言ったなら、その瞬間から他の男を探すわ。でも、あなたとジャガイモ君がくっつくなんて、ありえないと思う。だって、そんなことありえるわけがない。サトミは優秀な医者、ジャガイモ君は名もない芸術家。家柄、仕事とか、何もかもが釣り合わない。絶対に無理よ!」
レイは独り大笑いした。まるで狂人のように。
「分かった……もういいから、早く、何ていえば言い。『愛している』、『もう一度、よりを戻したい』、『結婚して』……どれもありえないわね」とサトミは冷やかに言う。
「遊んでいるの? 真剣に考えてくれている?」
「ごめん、半分、遊んでいる」
「こう伝えて、『あなたを傷つけて、ごめんなさい。出来れば、昔のように付き合って』と」
「ずいぶんとロマンチックな表現ね。私に言えるかしら?」と言うと、 なぜか、サトミは顔を赤らめた。
「優等生のサトミなら、何でも言えるでしょ?」
「優等生は関係ない。でも、メッセンジャーになってあげるわ。でも、一回きりよ。それから結果は期待しないで。どんな結末になろうと、恨まないで」
「かまわない。どんなになろうと」
サトミの家は町中の一等地にある。
門をくぐると、広い庭がある。その広さに初めて訪れる者は圧倒される。田舎町とはいえ、その広さは類をみないからである。だが、驚くのは家に入ったときであろう。まるでどこかの博物館でも入ったかのような錯覚を覚えるほど、いろんな美術品や工芸品が置かれていた。 家の入口を上がるとすぐに二階に上がる螺旋階段がある。螺旋階段を上り、海沿いに面した部屋がサトミの部屋だ。
帰宅すると、すぐに着替えをするサトミの習慣である。病院でしみついた消毒薬の匂いがあまり好きではないからだ。ほのかに香る花のような香水をつけた下着を身にまとい音楽を聴く。そんな姿を誰も知らない。音楽を聴きながらいろんな空想する。たとえば、いろんな男たちとの愛とか。
音楽を聴いている最中、突然、ジャガイモ君のことが気になった。数回しか会ったことないので、ぼんやりとした記憶しかない。レイは「肉体系の男」と言った。「ピカソのようにエネルギッシュだ」とも言った。その頃は軽く聞き流していた。だが、あらためて、どんな男なのか気になり、レイの結婚式のときの写真を取り出してみた。確かに日焼けをしていて筋肉質だ。それに顔の彫が深くてまるで外国人のような顔立ちしている。
その夜、ジャガイモ君に抱かれながら踊る夢を見てしまった。起きた後、しばらく何というはしたない女だろうという自責の念に駆られた。
ジャガイモ君に電話をした。
「会って、レイからのメッセージを伝えたい」と言ったら、
「いいよ」と快く応えた。
サトミは電話した後で、なぜ、その電話で、レイの話を伝えなかったのか後悔した。逆にわざわざ会って何を言えばいいのか。住む世界がまるで違う人間とどんな会話をすればいいのか。
作品名:さあ、一緒に踊りましょう 作家名:楡井英夫