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文目ゆうき
文目ゆうき
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睡蓮の書 三、月の章

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 どうもおかしい。まるで手ごたえがなかった。この程度で属長ということも疑問だが、それ以上に分からないことがある。こちらが先に竜巻という力を用いて見せているのだから、力量の差は予測できたのではないか。それなのに、こちらが力を用いたとき、身を守ることをせず攻撃してきた。誰でも己の身は大事であるはず、守ろうとするのが自然ではないか? 結果は明らかであるのに……なぜだ?
 なにか引っかかりを感じ、ヤナセは地に張り付くように横たわる北の風神を注意深く見下ろしていた。
 そこへ、三たび炎による攻撃が浴びせられる。
 すうと空を翔け炎を避けると、ヤナセは上空からこの力の主を探った。炎は大きな蛇のようにうねり伸び上がってヤナセを追う。力の主はすぐに見つかった。幅を広げた河によって幹が半ば水に浸かる林の、陰に隠れるように、男がこちらを見上げている。
 目が合うと、男はまた木の影に身を隠す。男の扱う炎が、行き場をなくし林の木を焼いた。男はそこから逃れるように、水中に身を隠しながら移動する。
「どこへ行く」
 その道をふさぐように、ヤナセは水上に降り立ち風の力で水をえぐる。男の姿が露になった。
 髪の色はほとんど失われ、その量も心もとない様子が年齢を知らせる。鍛えられたものとは対極にある、ぶよぶよと贅肉を垂らすその体。しかしその贅肉も骨の上に吊られるようにあるばかりで、皮膚など皺の走らぬ場所がない。どこもかしこも、艶と張りというものをとうの昔に捨てたようだった。
 何よりヤナセの目を引いたのは、皺だらけのたるんだ皮膚の上にぎょろりと剥き出されたその目。遠くからでもはっきりと捉えることができる、ざくろのような浮いた赤色。その鮮やかさ。
「『炎神』か……?」
 驚いた。地属の最高位『大地神ゲブ=トゥム』が太陽神側に現れることがなかったのと同じように、火属の長『炎神マヘス=ペテハ』が北に現れる例など聞いたことがない。だが、それだけではなかった。この男、おそらく齢五十、いや六十を超えているだろう。神々の寿命は五十前後といわれているが、力は肉体と同じく、二十あたりを頂点に下降の一途を辿る。よってその頃には次に譲るのが常識となっていた。戦力を考えれば当然だが、実際には、繰り返される戦の中でそう長く生き延びるものが少ないのだ。この老神は、戦を最低でも二度は生き延びていることになる。
「逃げ延びた結果『二重の称号』のために得た力、か。突然、双方に最高位の称号が与えられるとなれば、実力の伴わぬ者も生じるわけだ」
 半ば呆れたような笑みを浮かべ、ヤナセが言った。
「そ、そうじゃ、ワシなんぞが長になるより仕様がなかったんじゃ!」老神は身を固め、ぶるぶる振るえながら甲高い声を上げた。「ワシは非力じゃ、あんたに勝てるとは思うとらん! 形だけ攻撃しておかねば裏切り者と疑われる、それだけなんじゃ!」
「よく喋るご老人だ。形だけとは、そうしてこそこそ身を隠して攻撃を仕掛けることなのか。私の知る火属は皆堂々としていたがな」
「臆病なんじゃ! ワシは臆病なんじゃ! 地属の神が幅を利かせるワシらの世界では、火属は肩身が狭い。いつもびくびくしておった。このメリトゥにとってはハピ神の御許さえ安住の地とは言えんのじゃ。こうして敵からも味方からも身を隠さねば生きてゆけん! 誇り高き風の長が、ワシのような年寄りを手にかけるなど、その名に傷がつくだけじゃろう」
 老神メリトゥは耳障りな高い声でまくし立てる。そうしておびえきった様子で水中に身を縮め、水底の泥を擦って後じさる。
(調子のいい爺さんだな……)
 ヤナセは口元の笑みを消した。そしてその手に聖杖を握る。メリトゥはまたびくりと大きく肩を揺らし、哀れなほどの悲鳴を上げた。
「ま、待て! わしは戦いとうはない! 戦など何にもならんわ! 己の身が滅びればなにも意味などなくなってしまうんじゃからな! のう、見逃してくれ、わしには失いたくない大事なものがあるんじゃ!」
 ヤナセの瞳がわずかに揺れる。それを捉えてか、メリトゥはさらに続けた。
「ワシには大切な……孫娘がひとりおるんじゃ。先の戦で両親を失って、わしまで失えばその子は一人ぼっちじゃ! のう、頼む!!」
「……」
 ヤナセはしばらくじっと、その老神の姿を正面から見据えていた。それから、目を閉じ息を吐くと、静かに背を向けた。
 その背に、メリトゥはゆっくりとざくろ色の目を尖らせる。
「そう、失うわけにはいかんのじゃ。ワシの、ワシだけの……」
 ――低い破裂音。まるで巨石を落としたかのようにはじける水面。
 メリトゥの、にいやと持ち上げた口、それでもなお垂れようとする頬下の皮、そして頭皮を隠しきれない灰色の頭髪、突き出した腕、二の腕にぶら下がる贅肉も、どれもが、爆発の振動とそこから生じた爆風に大きくそして細かに揺れる。
「この力、最高位の証じゃあっ……!」
 爆風はなおも収まる様子なく吹き付ける。――あの生意気な風属の男は粉みじんに砕け散ったろうか。メリトゥは頬を、腕や足、腹を掠めるものをそう捉えていた。
 だが……、何かがおかしい。引き起こした爆発は一瞬のもので、とうに収まっているはず。それなのに、この爆風は収まるどころか、より勢いを増しているようだ……?
 そのとき初めて、メリトゥは彼の身体を掠めていたものによって肉が裂かれていることに気づく。
「な……」
 そしてメリトゥの最期の言葉は、喉から噴出した血によってかき消された。
 皺だらけの皮膚に幾つも刻まれた、鋭利な刃物で裂かれたような筋。それがぱっくりと口を開ける頃には、メリトゥの身体は水中に沈み込んでいた。
「醜いな……腐りきっている」
 水面にじわりとひろがる赤を、ヤナセは冷ややかに見下ろす。この男は、その力を一方的に用いる以外の経験を持たなかったのだろう。二つの戦を越えていながら、己の力量をまったくわきまえていなかった。……そう、ああして身を隠し、逃げてばかりいたために。非力であると言いながら、それが事実であることを認められなかったのだ。
 北の序列は地属優位とは聞いたことがある。太陽神側ではそうした厳格な序列制度はないが、しかしこちら側の地属の神位はこれまで皆低く、戦時に前線に出られるものは数えるほどしかなかったという。北では同じように火属の神位が低かったに違いない。
 得られぬ力、それゆえに持ち続けた執着が、この男を生かしてきたというのか。
「だとしたら……このような長寿、空しいな」
 ヤナセは吐き捨てるように言った。
「長い時をかけてお前が得たものなど、所詮、この程度だったということだ」

      *

 キレスは寝台の上を動かない。
 シエンは言った。キポルオとは“誰”なのか、と。
 嘘をついたり、取り繕ったりしているふうではなかった。まるで本当に、そんな人物など存在しなかったと、はじめから知らないと、いうように。
 この世界から、彼だけを切り取ったかのような違和感。彼の存在はすべて夢だった? それとも、今見ているこれが、夢?
 ……夢――。
 混乱のうちに、キレスは再び少女の夢を引き寄せる。