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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 三、月の章

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「月の力はお前自身だと、……切り離せないのだと、そう言ったのはキレス、お前じゃないか。それを守ることは、お前を守ることと、同じはずだ」
「……“同じ”?」
 胸をぞわぞわと締め付ける不快なかたまり。それを搾り出すように、キレスは応えた。
「同じなものか。違う、ぜんぜん、違う!」
 ぎらぎらと滾る眼。決して、認められないと、いうように。
「俺が自分の意思で力を使えば、それは拒まれるのに、俺の意思と関係ないところで、この力は望まれる。望まれるとき、そこには、俺の意思なんてどこにもない。何も、関係、ない!」
 自然にしていることを拒まれ、自身の一部とも認識していない何かを、守ろうとされること。
 自分にとって価値あるものは踏みにじられ、価値のないものを拾い上げられること。
「力を望まれたかったんじゃない。俺がそう思うことを、自然にすることを、どうして拒まれなきゃならない! 思ってもないことを望み求められたって、それは――そうして求められたのは、俺じゃない!」
 自分自身にとって自然であることを、あるときは目に見える力で圧し、あるときは言葉なく圧してきた。そこにあってはならないと、学習するには十分すぎるほど。
「道具みたいなもんじゃないか。こんなもの、お前らが守ろうと、それに必死になろうと、俺には、俺自身には、何の関係もない! それは、俺じゃない。俺じゃない!!」
「それでも……守らなければ、お前は今、ここにいなかったかもしれないんだぞ!」
「それでいいじゃないか! なぜそうしない!? さっさと中身を取り出して、捨ててしまえばいい。殺せばいいじゃないか!」
「いい加減にしろ、キレス!」
「触わんな!!」
 伸ばされたケオルの腕が、再び激しく振り払われる。
 空を割くキレスの指先がケオルの胸飾りを掠めると、糸が千切れ、繋ぎ留められていたビーズがぱっと、闇に花開くように、散りばめられた。
 ほうぼうに、散りぢりに飛び去る、小さなかけら。
 ばらばらと、地に落ちる音。
 そうした音がどこかへ呑み込まれ、いっそう闇色を濃くしたその中に、キレスの双眸がくっきりと浮かぶ。
 鮮やかに灯るその、紫の火は、しかし次第に闇に溶けるようにして、薄らいでいった。
「いなくなればいいって言ったんじゃないか。どうしてあの時、殺さなかった」
 抑揚のない声で、キレスは言う。ケオルははっと、息を詰めた。
「受け入れるつもりがないなら、そうすればいいんだよ。俺だってこんなもの……もうたくさんだ」
 疲れた。いつまでこうして抵抗するのか。報われることなどないのに。明らかな断絶が、そこにあるというのに。
 いつもそうだ。こちらを見ようともせずに、声だけを投げてくる。高いところから、こちらを見下すように。まるで、ひとり足元に深い穴を掘り進めているようだ。キレスは何度も、そう思った。
 “お前は間違っている”“そこにいるべきでない”“気づくべきだ”――何度も、何度も……そうして、応じない自分を愚かだと言う。まるでどうしようもなく価値のないものだというように。そして、それへの責任が己自身にあるのだと、決め付けるのだ。
「どうして、俺のいる場を否定する。見てもいないくせに――何も、分かっちゃいないくせに。なんで、簡単そうに、そこを出ろと言ってくるんだよ」
 気づけばそこに立っていたのだ。なぜ地より下なのかは分からない、ただ気づけばそこにあった。もともと他の多くのものより低い位置に。
 そのことでなぜおかしいと、改めるべきと言われるのか。なぜ、覚えのないことへの責任を負わされるのか。
 ……聞きたくない。そう考え、さらに足元を掘り進める。穴はさらにさらに深くなり、自身はより深く沈みこむ。もはや冷たい他者の視線にさらされることはない。それでも、言葉だけは変わらず投げ込まれる。お前はおかしいと。間違っているのだと。上へあがってくるべきだと。地を掘るべきではないと。
 それは一体何のためにかけられる言葉なのか。……救おうとしている? ならばなぜこんなにも冷たく降り注ぐのか。
 ここにいる理由も、掘り進める理由も、何もかも見ようとせず、ただ「地上に戻るべき」という。それが正しいのだと。
 一体どうやって上がれというのか。その、冷たい声を生む場所に上がることが、自分にとって一体何の救いになるというのか。
 本当にはこちらを見ようとしないその目。心を揺るがすばかりの声に、一瞬でも希望を見て腕を伸ばせば、上がり切ることのないまま穴の深さを知り絶望するだけなのだ。――幾度かそうして傷つき、その度にまた、穴を掘ってきた。
「分かるわけないんだよ。なら、放っとけよ。俺を、操作しようと、するな」
 その深さを知り、絶望を知り、無力感にさいまれる、そのことを欠片でも分かち合うつもりがないのなら――。
 どうせ手を離してしまうのなら、ほんのわずかにでも引き上げて、その暖かさを知らせることのないように。それがどんなに残忍なことであるか。
 再び穴の深くに沈めば、かつて当たり前だったその冷たさが、何倍もの鋭さをもって切りつけてくる。その痛みを知らせるくらいなら、中途半端な助け手など、必要ない――。
 じんわりと、ふたりを覆う、暗闇。
 床の上に描かれていた魔法陣が、その最後のかすかな光を、ついに消してしまった。
 ただ二人きりの空間。すぐ傍の相手さえ捉えることのできない、真の暗闇。
 呼吸が響くかと思われるほどの、静寂……。
「――俺は、」
 しばらくして、ケオルの声が微かに、空気を振るわせた。
「お前に知ってもらいたいと、思った。母さんのことを、お前は誤解している、だからあの頃はあんな……無茶な力の使い方をして、困らせてたんだと。そう考えたからだ。でも――、」
 ひとりごとのように。その声は静かに、闇に染み渡る。
「あの頃、俺が帰ると、母さんはいつも泣いていた。そのとき、うわ言のように繰り返していたんだ、『ごめん』って……。なんで謝るんだろうって、なんで、母さんが――ずっと、疑問だった」
 キレスはぴくりと眉をひそめる。母の謝罪の言葉、それには一体どんな意味があったのか。傷つけていると、分かっていたのなら、なぜ――
「知らなかった」ふっと息をついてから、ケオルは言った。「お前はいつも母さんと一緒だと、そう思っていた。だけど」
 二つの、反対の方向からかき集めた“ほんとう”の欠片。それらを繋ぎ合わせ、見えてきたもの。
「お前は、ずっと、ひとりだったんだな」
 ――ひとり。
 その言葉が、ひとつ。しずくとなって、キレスの胸に落ちた。
 池の濁りを押し退けるように、わずかに広がる透明な色。
 キレスはその瞬間、遠くそびえ立つ地上からこちら側を見るものを、初めて、知った気がした。
(ひとり……)
 胸のうちに繰り返す。渦巻く闇が、すうと凪いだ。
(……俺が?)
 ゆっくりと瞬く。そうして静かに、湧き上がる熱を冷ましてゆく。
(ひとり、だった――)
 その言葉は現状を、そして隠されてきたものを、浮き彫りにする。
 静かに、キレスはその瞳を起こし、闇の奥、そこにあるものを、捉えようとした。
 手をかかげ、小さな光を灯す。そうして、目の前に立つ彼の兄弟を映し出す。