睡蓮の書 三、月の章
もう一度声を上げようとしたそのとき、デヌタは初めて、あることに気がついた。
(そういう、ことか……!)
月神の姿がない。
あの水流は生命神を狙って起こされたのではなかった。「月」を奪い去るために――。
「すぐに道を開け、セト!」
声を上げ、デヌタはその手に自身の聖杖を握る。生命神に代わり神殿中の神々に呼びかけるために。
セトが未だ残り火のくすぶる岩を地中に戻すと、デヌタは長い黒髪をなびかせ素早くそこを横切っていった。
「……」
力を用いたあともしばらく、セトは地に手を付いたまま、そこに吸い付くようにじっと身をかがめていた。
――この「感覚」は、何だ……?
いま崩された岩石を地中に沈めたとき、腕を伝い流れ込んできたもの。
すぐ目の前に表されていた、しかしずっと遠くから届けられたもの。
あのような得体の知れない力を、知るはずがない。そのはずなのに……、
なぜだか、ひどく、懐かしい。
その正体がいったい何であるのかを、しかしセトは、決して知ることはないのだった。
下「かけら」へ続く
作品名:睡蓮の書 三、月の章 作家名:文目ゆうき