からっ風と、繭の郷の子守唄 第86話~90話
堆肥を運んできた徳次郎老人が、目を細めて笑う。
老人が堆肥の元にしているのは、牛糞、鶏糞、小糠(こぬか)の3種類。
さらに牧草や稲わら、剪定した枝、雑草などを加えてオリジナルの堆肥を作る。
自然素材のほとんどが、優良な堆肥に変わる。
身近なものを使えば、堆肥を作る経費もそれほどかからない。
「ロータリーでかき混ぜてしまえば、雑草もそのうち肥料に変わる。
堆肥は入れすぎてもまずい。
だが放置してあった期間を考えると、1反あたり、最低でも200キロは
必要になるであろう。
まず堆肥をまんべんなく撒く。
それからトラクターで、土の中へすきこんでいく。
すき込むことで、粘土質の土の中へ、雑草の繊維も混ざり込む。
繊維質は内部に、空気や水分を蓄えてている。
これが微生物たちの住み家になる。
微生物は、形のあるものを元素レベルに分解する。
そしてそれらを栄養に変える。
時間はかかるが有機質の土壌には、土本来の元気と栄養が満ちる。
堆肥の運搬は康平が担当して、ロータリー作業は英太郎がやれ。
サボるんじゃないぞ。
それからな。今日は千尋ちゃんが遊びにやって来る日だ。
バレないように気をつけて作業しろよ。栄太郎。あっはっは」
事情を知っている徳次郎老人が、笑い声を残して畑から去っていく。
そういわれれば最近の英太郎は、見るからに百姓の姿が板についてきた。
白いつなぎの作業着に、首にはタオルを巻いている。
帽子はなぜかすっぽりと、顔が隠れるほど目深にかぶっている。
すっかりと日に焼けてしまった顔には、京都からやってきたばかりの頃の、
青白さは、もうどこにも残っていない。
「どこから見ても、もうすっかり百姓の顔だ。
大丈夫だ。その黒い顔なら、かつての恋人の千尋ちゃんと
そのあたりで会っても、全然、気がつかないだろう。
気がついてもらえないのは寂しいだろうが、それもまた、から出た錆だ。
頑張っていれば、そのうちにいい事がやってくる。
百姓は1に忍耐、2に我慢。3、4がなくて、5に辛抱だ。
百姓の仕事はいつまでたっても、ただの縁の下の力持ちだ。
じゃあな、頑張れよ。見習い中の新人諸君!」
赤いトラクターを運んできた五六が、野良着姿の英太郎を冷やかす。
じゃあなぁ、と笑い声を残して、トラックで立ち去っていく。
ロータリの運転席へ座り込んだ英太郎が、苦笑いしたまま五六を見送る。
「♪~風に逆らう俺の気持ちを 知っているのか赤いトラクター
燃える男の赤いトラクター それがお前だぜ いつも仲間だぜ
さあ行こう さあ行こう 地平線に立つものは 俺たち二人じゃないか」
(小林旭・赤いトラクター歌詞より)
「なんですか英太郎さん、その歌は」
堆肥を運搬中の康平が、英太郎へ声をかける。
「あれ。知らないんですか、康平さん。
トラクター言えば赤。赤いトラクターと言えば小林旭。
農業をやる男の定番ソングだと、五六さんから教わりました。
最近、地元の『FMぐんま』をよく聞いています。
ローカルで面白いし、時々、こんな歌も流れてきます。
そういえば農家の夫婦の皆さんは、みんな仲良しですねぇ。
2人ひと組で仕事していますし、息の合ったコンビネーションは見事です。
だから仲がいいのですね。農家のご夫婦は」
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 第86話~90話 作家名:落合順平