からっ風と、繭の郷の子守唄 第86話~90話
「え・・・母は赤城の糸を紡いでいたのですか。初めて聞きました」
「お前が生まれる前の話じゃ。
千佳はとなり村の生まれだが、そこにも糸を紡ぐ風習があった。
大昔のように、専業で引いていたわけではない。
当時女学生だった千佳たちに、わしらが指導した。
お前の母が一番器用に、上手に引いた。
世が世なら立派な後継者になったであろうが、いかんせんこの不景気だ。
おっとっと。朝から余計なおしゃべりをしたのう。
さて、着いたぞ。ここが昔の取水口じゃ」
老人が指差したのは、山麓を下っていく細い沢の流れ。
中腹から自然に湧き出た地下水が、ひとつの流れとなり沢をつくる。
南東方向に向かって山肌を下っていく。
やがて、赤城の中腹から流れ出る唯一の一級河川、桂川へ流れこむ。
「ここが水の取り入れ口じゃ。
一ノ瀬の大木のすぐそばを流れ、500mほど下にある枯れ沼まで至る。
かつてはここに、一年中流れていた水路があった。
まずはこの水路の復旧させる。
次は畑に肥料を入れて、栄養豊かな土地に変える。
桑の苗を用意するのは、いちばん最後じゃ。
本格的に葉が茂り、蚕を育てるまで、早くても3年はかかる。
まずは水の準備と、土作りから始める。
水と土を整備する。これはいつの世でも、農業の基本じゃ」
「徳爺さん。沢の水面はだいぶ下のほうにあります。
これでは昔の取水口は、まったく役に立ちません。
なにかうまい解決策が、ありますか」
「簡単なことだ。ここでだめなら、もっと上流から取ればいい。
50~60mも登ったところへ、新しい取水口を作れば、すべてが解決する。
そんなことも思いつかないとは、お前も頭が固すぎるのう」
「ここから上流へ50m。下流500mにおよぶ水路の掘り起こしか・・・・
いきなり土方仕事の始まりだなぁ。
農業というのはやっぱり、1に体力、2に体力の世界だ。
俺は田舎で育ったからいいとしても、問題は英太郎さんのほうだ。
いきなりの体力勝負では、これから先が思いやられる」
「覚悟は承知の上です。
ですが、この現実は、やはり凄いものがあります。
二人きりのスコップとツルハシで、はたして勝負になるのでしょうか・・・・
たしかに不安を感じます。
ある程度の想定はしていましたが、やはり農業には、
予測をはるかにこえる厳しさがあります」
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 第86話~90話 作家名:落合順平