海の約束
一度も袖を通さなかった浴衣。わたしの気持ちは宙ぶらりんのまま。それまでの思い出は、タンスの引き出しの奥に、浴衣といっしょにしまい込んでいた。
おそろいの服を着て、同じリボンで髪を結んで学校に行き、海で遊んだ。まるで双子のように仲がよかったわたしたち。
ずっとおとなになるまで、さえちゃんと分けあうはずの思い出が、急に途絶えてしまったことを、認めたくなかった。
さえちゃんは、海の中に今もいるから。
わたしは別の町で、別のわたしになって過ごしてきた。
けれど、いつの間にかその思いが、心の隅に密かな水たまりのようになって、しだいに暗くよどんでいることに気づいた。
だから、自分の気持ちに素直に向き合おうと、この小旅行に参加した。
ひとりで、海岸の北側にある波止場の先に立った。星のない夜。
波間には夜光虫がきらきらと漂っている。まるで、空の星を一度に落としたように。
まだ、うんと小さかった頃。夏祭りの夜、初めてそれを見て、海に星が落ちているとふたりで大騒ぎした。
それはプランクトンだと、笑って教えてくれたのが、さえちゃんのお父さん。
さえちゃんの顔を思いながら、わたしは浴衣を海に投げた。
ふわり。
朝顔の花が宙に浮かんだ。
浴衣が波の上に落ちると、びっくりした夜光虫は、ぱあっとまわりに逃げ散った。
ゆっくりと暗い水の底に向かって、浴衣が落ちていくと、波は静かになって、夜光虫の光も元にもどった。
ホテルに帰ろうとしたそのとき、海の底が光り出し、波がまたざわめきだした。
驚くわたしの目の前で、それは水の柱になった。夜光虫の光をちりばめて。
ざっばあぁぁん。
波しぶきが頬にかかる。わたしの目に映ったのは、銀色の大きな影……。水の柱の中から姿を現したのは――
それは鳥?
それは魚?
それとも……?
浴衣をしっかりとつかんだ白い二本の腕。
かすかにほほえむその顔は。
「さえちゃん!」
銀色の鱗からこぼれる、きらきらと光るしぶき。その最後の一滴が消えるまで、わたしは瞬きもせず、その場に立ちつくしていた。
夢なのか、現実なのか――気がつくと、もう、波は静けさを取りもどしていた。
夜半から、風が強くなった。やがて雨も降りだし、嵐になった。
次の日は一日中、大荒れだった。
「あーあ、せっかくの海も今日はだめねえ」