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殉愛

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 天使を抱えて住処に戻ってきた時には、男は疲れ果てていた。
 頭が、体が、到る所が痛みを訴える。壊死した翼は遠からず腐り落ちるだろう。
 けれど、気分は高揚していた。
 腕に捕らえた天使を見れば、尚の事。充足感に指先までもが痺れている。

 一方天使はと言えば、意識を失い、人形のようである。
 悪魔の瘴気にやられ、魔界に辿り着いた時には気絶してしまっていた為、余計な抵抗をされる事もなく、静かなものだ。

 くったりと力のない柔らかい体とあどけない丸みを帯びた白い頬に、今すぐに愛でたい気持ちが湧き上がる。
 けれども、疲れた状態で手を出すのは、苦労した分、そして天使が今までにない反応をした個体である分、惜しまれた。
 どうせなら万全の状態で、何より、天使の意識がある時分に、愛でたい。
 それには、まずは己の回復を待つ間、天使を閉じ込める場所を用意するべきではないか。

 だがしかし、そうは思っても、急く気持ちは消えない。
 やっと手に入れた、念願の天使。
 生きているという実感が、面白そうだと揺さぶられた精神が、天使の存在を渇望する。

 あちらを選べばこちらが消える、二者択一。
 両立する道などありはしない。
 如何ともし難い二律背反。

「おやおや」

 もどかしく手を出しあぐねる男の葛藤を見越したようなタイミングで、不意に笑み含んだ声が響いた。

「あんたも天使を飼うのかい」

 驚きもなく視線だけを投げた男の目前に、するりと壁の隙間から這い出て来たのは、男の隣人でもある蛇であった。

 男と蛇は、悪魔と蛇としての、つまりは使役する種とされる種の本能が、決して互いを友人にしなかったが、良き隣人ではあった。
 不躾に声をかける程度には、そしてその声に驚かない程度には、互いに存在に慣れてもいる。

「飼う? 喰らう、ではなくてか?」

 短く疑問を向けると、蛇は滑らかに艶光る鱗をくねらせながら、笑った。

「大半は喰らってるみたいだけどさぁ、偶に居るんだよ、上手に飼ってる奴」

「どうやって」

 腕の中の天使へと視線を落とせば、もう結構な時間、男の発する瘴気に晒され続けている白い身体は、瘧のように震えていた。
 こんなに瘴気に弱い生き物を、瘴気に満ちた魔界で、瘴気の発生源である悪魔が飼う等、不可能のように思われる。

 けれど、蛇は可笑しげにぱたんと尾で地面を打つと、男の足元で鎌首をもたげた。
 男が不快を表せば、蛇には一溜まりもないだろう位置で、平然と天使を覗き込む。
 しゅうしゅうと掠れた吐息が天使にかかり、前髪を麦の穂のようにうつくしく波立たせた。

「聞いた話によればね、天使なんて、小さな鳥と一緒なんだそうだよ。姿かたちを見て、囀る声を聞いて、触れずに、目で、耳で、愛でるもの」

「小鳥か」

 成る程と思わず漏れたほど、それは納得の行く例えだった。
 確かに、瘴気に弱く、甲高く囀り、見目麗しく、やわく脆い所がそっくりだ。

「そう、小鳥さ。だから飼い方も、小鳥とおんなじにするんだよ。それが長持ちする飼い方だとか」

 あんたにそれが出来るのかい?
 揶揄する口調で赤い舌を閃かせる蛇に、男は再び、ちらと視線を向ける。

 一般的に悪魔の愛で方とは、触れ、引き裂き、喰らう事を言う。
 蛇の語る方法は異質であり、悪魔の本能に逆らうようなもので、普通、悪魔は思いつきもしないし、実行しようとも思わない。

 男は天使に再度視線を戻す。
 意識のない、青褪めた芳顔。
 柳眉を苦しげに顰め、細い四肢を震わせる天使は、例え目を覚ました所で、男の手の内より逃げる事は適わないだろう。

 通常通り、天使を愛で喰らう事は容易い。
 そうしたい欲も強い。
 今も尚、マグマのような渇望が喉を焼いて、息苦しい程だ。

 だが、男は既に長い刻を過ごしてきた。
 天使相手ではなかったにしろ、触れる事も、引き裂く事も、喰らう事も、飽きるほど行ってきた。
 息苦しい思いをする事にも、慣れていた。

 折角の、今までにない色を瞳に浮かべる天使。
 あの身を震わせるような実感をもたらした生き物を、少しでも長く愉しめると言うならば、今までにない方法を試すのも悪くない。

「だったら」

 男はぐったりとした天使を長椅子に放り投げると、立ち上がった。
 翼の末端がぼろりと崩れ落ちたが、気にも留めずに、指先に悪魔としての力を込める。

「鳥籠が要るな」

 一拍の間を置いて、空間を裂いてずるりと現れるのは、長く細い黒がねの棒。
 更に魔力を込め、天使を中心に据えるよう編めば、部屋の一画を丸く分断する華奢な檻となる。

 組み上がる大きな鳥篭に、男の背後で、蛇が面白そうに笑った。

作品名:殉愛 作家名:睦月真