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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 二、大地の章

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 二重の称号は、神々の争いが生んだ異常現象の一つとして捉われがちだが、この予言はもう何百年も前に記されて以来、長く実現していなかった。
 月が、千年の時を経てふたたびこの世に現れた今、“二重の称号”が実現し、地属の長が、いままで現れなかった太陽神側にも現れたということ。――それはまるで、過去の事実を守り伝えるという地属の特性が、今まで見えてこなかったものを明らかにしようとしているかのようだ。
 それが、この書なのではないだろうか……?
 考えすぎかもしれない。けれど、予め定められていたこの現象に、何らかの意味を問わずにはいられなかった。
 
   *

 人間界は、北とのいざこざが絶えない場所だった。
 特に地属は人間とかかわりを持ちやすく、衝突の多くは地属が絡んだものだった。
 人間は衣食住どの面においても、地属由来のものに頼らなければ生きていけない。そのため、地属の神々に対する祈りの声は小さくとも数多い。そして、その声に耳を傾けようとするのは、地属が守りの力を本質とするためだろうか。
 シエンは一度だけ、精霊から父に関するイメージを伝えられたことがある。この、人間界でのことだ。父も、祈りの声に応えようとしたのだろうか。
 精霊が伝えたイメージは、とても断片的なものだった。おそらく精霊自身に刻まれた記憶のようなものなのだろう。それはほんの一場面、父の顔は知れない。敵と思われる人物と、争っている様子……いや、正確にはそれは争いなどではない、父は無抵抗だった。そのイメージは、父が両腕を切り落とされる残忍な場面を映し、そして途切れた。――父の最期だったのかもしれない。
 赤く筋を引く刃。その主は、鮮やかな緑の瞳。先代の「大地神ゲブ=トゥム」に違いなかった。
 なぜ父は身を守ろうともしなかったのか。いや、できなかったのかもしれない。ゲブ=トゥムは地属では最高位、下位のものの動きを封じることは容易い。
 このイメージから分かるのは、北の、地属の長は、その圧倒的な力をもって太陽神側の地属神――セトの言うところの、裏切り者――を排除しようとしていたのだろうということ。
「キポルオ、セトに会ったことは?」
 シエンの言葉に、長身の従兄はゆっくりとうなずく。……思ったとおりだ。
「やつのせいで砂漠化が進んでいる。北西は特に進行が早くて……集落がひとつ、滅んでしまった」
 止められなかった。手をこまねいていた自分の責任だ。シエンは唇を噛む。
「根から絶ちたいが、まずは拡大を阻止したい。セトの力は川の西岸を南へ伸びている。その境を、北へ押し返す。……俺一人では、すぐにセトに巻き返される。力を、貸してほしい」
 キポルオはもう一度ゆっくりとうなずいた。
 人間界は神々の世界の写し。セトの勢力は、太陽神側ではもっとも北にある西の神殿を越え、さらに南側にまで広がっていた。西の神殿のある位置は大きなオアシス地帯になっている。さすがにこれを飲み込むことはできないらしかったが、それでもオアシス周辺の乾燥化は進んでいる。
 植物の根付かない砂漠地帯は、純粋な地属のエネルギーを供給する。植物などから得られるエネルギーとは質が違う――力強く頑なで、容易に変化しそうにない。それは同じ大地神であるシエンにも大きな力を与えるが、彼は他を受け付けないこのエネルギーの性質があまり好きではなかった。人間が食べ物をあれこれ好んだり避けたりするのと同じように、彼らにも好みはある。
 与えるエネルギーの性質と同じく、それは容易に変化してくれるものではなかった。植物を根付かせるために、土の性質を変えるところからはじめなければならない。セトが地表を広く覆った“純粋な”石礫を退け、地の底に散らされた肥沃な土を互いに影響できる範囲まで集めてやる。広範囲に及ぶ力を長く使い続ける必要があった。
 やっとキポルオの力を借りて、緑地の境界をほんの僅かばかり北へと押し戻したころだった。
(――気付いたか……セト)
 はっきりと感じる。この地に降り立った、大いなる力の存在。
 北西に現れたそれは、地を伝いまっすぐこの場に向かってきた。
 シエンはすぐに、緑地と礫地の境に巨大な壁をそびえさせた。いま回復させたばかりの地を、早速荒らされてはかなわない。セトがその壁を解き崩す間に戦闘態勢を整えるつもりだった。
 ……だが、シエンが次の行動をとる余裕は与えられなかった。セトはその巨大な壁を、自らの剣でなぎ払うように破壊してしまったのだ。
 天から降り注ぐように崩れる壁をとっさに砂に変えたシエンは、振り下ろした大剣の勢いに引きずられるように態勢を崩したセトが、その枯葉色の瞳をぎらぎらと尖らせこちらを捉えたのを見た。
 ――様子がおかしい。いつもの余裕が見えない。
 セトはまるでなにかに憑かれたように、飢えた野獣のように、血走った目を光らせシエンを映す。身を低く縮ませたかと思うと、すさまじいスピードで迫り、黒い刃を振り上げた。
 大地の剣は、まるで柔らかな布の層であるかのように抵抗なく地に食い込む。すぐに引き抜かれると、次には空を裂く。幅広の大剣が繰り出される勢いは激しく、そのたび低い唸り声を上げる。洗練された動きでは到底ないが、そのすさまじさが身体を圧する。
 シエンは強い困惑をぬぐえない。セトはもっと、余裕をもった戦い方をしていたはずだ。闇雲に剣を振り回すようなことは今までなかった。それなのに、これではまるで剣の重みに引きずられているようだ。
(それにあの目――正気じゃない……?)
 そこに、いつもの嘲るような色はない。怒りたぎるように開かれたそれは、はっきりと、シエンに向けられていた。
(いったい、何が――)
「……うおおおあああぁ……!!」
 叫びを上げ振り下ろされる剣が、シエンの生み出した厚い防壁を砕き去る。セトの勢いは衰えを知らず、剣は触れることなく皮膚を裂くと、地にまで食い込んだ。
「なぜ貴様がここにいる――」
 セトは低く呻いた。激しい憎しみの色を浮かべたその目は、確かにこちらに向けられている。シエンは思わず眉を寄せた。問いの意味が分からない。ここ人間界で、今まで幾度となく顔を合わせたというのに。
「なぜ、ここにいるのかと聞いている――!!」
 セトの足元から、あるいは剣の先から、激しい振動とともに大地の裂け目が広がる。飛び退くように身をかわし、シエンはセトとの距離をとり聖杖を握った。しかし地に足を付ける間もなく、セトが襲い掛かる。
「死ね……しね死ね死ねしね死ねええぇ!!」
 狂気とさえ見える怒りを纏いうち下ろされる刃を、シエンは手にした杖で受け止める。その力は、今まで受けたものとは比較にならなかった。ひどく骨が軋む。杖を掴む手がしびれ、汗がにじむ。
 斜めに交わる剣と杖は、じりじりと滑るように交点をずらしてゆく。セトの眼は変わらずシエンを捉える。僅かにも逃さないというように。シエンは戸惑いを募らせる。
 セトがさらに剣に力を注ぐ。交点がずっと下がってしまったことで、支えのバランスを保つのが難しくなっていた。シエンは僅かに体をゆるがせる――その隙をセトは逃さない。
 次の瞬間、不意に刃を引き離したセトは下から引き上げるように剣を滑らせた。
「……!」