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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 二、大地の章

INDEX|40ページ/48ページ|

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「そうやって、逃げるのか……? 口を閉ざして、関わりを絶とうとして――結局お前に何が残るんだよ」
 ――その一瞬、奥に沈めていたものが逆流するように、シエンの胸を黒く染め上げた。その言葉はまるで、彼が姉の死を招いた因果をついているかのように思われたからだ。
 シエンの瞳の翠緑が、闇の奥でうっすらと彩られる。
「そんなに知りたいのなら、教えてやる」声色低く、シエンは答えた。「キポルオは――あの人は、北神だ」
 ケオルがはっと息を詰めたのが分かる。シエンは淡々と続けた。
「事実など簡単に隠され、俺たちは多くの偽りに染められている。――千年前、太陽神が実の兄である生命神を退け、不正に王位についたということも……」
「お前……あの書に、とらわれ過ぎだ。だから、鵜呑みにするなと言った……!」
「あの書のせいじゃない。俺は“見た”。千年前に起こった事実、戦の発端を――」
 ケオルは複雑な表情を浮かべるしかなかった。シエンのその瞳が示すものは、感覚に強く裏づけされた、確信。力持つものが得る感覚は、彼には、分からない。
 それでもと、ケオルは声を上げた。
「お前が言う不正が、事実であったとして――それを千年もの間、隠し通していたっていうのか……? 俺は、……信じられない。当時の神々の大多数は、太陽神を支持した。それだけの理由が、あるはずだ」
「でも、疑ってるんだろう……? 思い当たることがあるっていう顔だ」
 ケオルは答えなかった。彼の脳裏に初代ジェフティの噂がよぎる。……答えられなかった。
 シエンは続ける。
「地属は火属のように過去を捨てたりはしない。太陽神を唯一の王と認め戦を終わらせるには、地属を滅ぼすしかない」
「まるでお前が、北神側に立ったような物言いじゃないか。……千年前の不正を、今更、許せないと主張するのか? そうすることが一体何になるんだ。混乱を招くだけじゃないか!」
「同じだな。千年前、火属神が言ったことと」シエンは吐き捨てるように言った。「既成事実、か。真実はいつも、勝利者の手で作られる。――いっそのこと本当に、地属など滅んでしまえばいい」
 ケオルが信じられないというように見詰めてくる。シエンはその目を合わせようとしなかった。
「お前、おかしいよ」ぽつりと、ケオルが言った。「お前はそんなやつじゃない。自分のために他を巻き込んで、滅びを求めるようなやつじゃない」
「俺の何を知っている? お前が見ていたのは俺が装ってきたもの。本当の、俺じゃない」
「本当のお前って何だよ。お前は、今こそ、偽りの自分を演じている。そうじゃないのか」
 まっすぐ向けられたケオルの瞳は、その言葉を断定的に響かせる。
 シエンはそれを受け止めてから、一度ゆっくりと瞳を閉じた。そのとき、意識の端に捉えていた気配が消えた。――もう、時間がない。
 シエンはそうして初めて、口元に表情を結んだ。……それは、どこか自嘲気味な、薄い笑み。
「分かったようなことを言うんだな」
 冷ややかな声。
「お前は、何も知らない。俺のことも、何も――。ただ少しの間、同じ神殿で育ったというだけ……それだけで勝手に、思い込み、そうだと信じているだけだ」
 ゆっくりと瞳を起こし、シエンはその翠緑で友を見据える。
「俺もまた、北神の血を引いていると言ったら……?」 
 驚愕の色をあらわに、ケオルの瞳が開かれた。
「――嘘……だろ」
「嘘じゃない。――それでもまだ、俺のことを信じられるのか?」
 向けられていた眼差しを上から圧する。ケオルの瞳が微かに揺れた。
「俺は、お前の友人のふりをしているだけかもしれない」
 言葉を重ねるごとに、シエンはその瞳から感情をなくしてゆく。
「俺は今ここで、お前を、殺すかもしれない――」
「……!」
 ケオルの喉元に、翠の刃があてがわれる。ゲブ=トゥムの剣――顎を引き上げ、唾を呑むと、息を殺してケオルはその刃を映す。そうしてそれを伝うように、剣を握るシエンの拳を、そして、瞳を見た。
 シエンの瞳には、感情らしいものがすっかり消え去っていた。ケオルはわずかに身を引いたが、刃はぴたりと突きつけられている。
 彼はほとんど声にならないようなかすれた声で、シエンの名を呼んだ。その瞳にあるのは、非難よりも激しい困惑。目の前に起こっていることが、何かの間違いだというように。
 その瞳に揺らぎかけた自身の感情を律するように、シエンは剣を握る手に力を込めた。ぎらりと瞳が開かれる。腕を交差するように剣が振り上げられ、ケオルがはっと息を呑む。
 次の瞬間、みぞおちに激しい衝撃を受け、ケオルはシエンの握る剣の柄を滑り落ちるように、声もなくその場にくずおれた。
 シエンは深く息を吐き出し、ゆっくりと肩を上下させた。
(……すまない)
 瞳の翠緑がすうと細められる。それは、友人の横顔に注がれていた。
 驚くほどキレスとよく似たその顔。それなのにと、何度も思った。抱える思いはなぜ、こんなにも違うのか。
 キレスは幼い頃の記憶を持たないための、不安定なその心を隠すように、いつも、人と深く関わることを避けていた。ただ自分と二人になると、ときにその不安を吐露することがあった。思いの欠片を、ほんのわずかに覗かせるだけだったが――心の奥に、思いを沈ませること、それが自分と似ていると感じていた。
 ヒキイの葬儀を終えた夜、この中央の池のほとりで彼が話したこと――北に、自身の封じられた記憶が存在するという考え――、おそらくあれは、ケオルには話していないのだろう。だから会議のときも、彼は気付かなかったに違いない。
 自身の記憶について触れられたその時から、キレスは一言も発さず、思案するようにうつむいていた。
 何を考えているのか、シエンには手にとるように分かった。キレスは、失われた自身の記憶が戻ると確信したのだろう。いや、戻そうと考えていたのだ。……自身の手で。
 たった一人で、北に乗り込むつもりだということは、容易に想像ついた。だから、その気配をずっと意識していた。
 誰にも相談せず、衝動的に突き進む……彼は似ているのだ、自分と。
 そのときシエンは、心に決めたのだ。
 この手に握る翠緑の刃。ゲブ=トゥムの剣。
 己に与えられた必然があるとすれば、それはきっと、千年前の罪を贖うために。
 あのとき奪った月の命を、今度は、守るために、と――。

      *
 
 南の神殿の入り口、幅広の階段のそばに、
 いつものように、ジョセフィールの姿があった。
 彼はもう日暮れだというのに、足元に触れる石を拾い上げては、それを森へと投げていた。
 暇つぶしのような、怠惰な行為ではなかった。腕を大きく引き、勢いをつけ、投じる。それからその石の行方を、しばらく眺める。それを半ば真剣に、また楽しげに、ひとり繰り返していた。
 神殿奥からフチアが姿を現す。ジョセフィールが石を投げるその様子を、フチアは何をしているのかと問おうともせずに、黙って見ていた。
 投じられた石を追うように目を馳せ、少し乱れた息を整えるように、ゆっくりと呼吸する。そうしてジョセフィールは、口元にいつもの笑みを浮かべて言った。
「今のはなかなか。だいぶ、遠くへ飛んだな」