睡蓮の書 二、大地の章
「……実を言うと、俺も、月の可能性はあると思ってた。『欠けたるもの、満ちみちて、再び主の宿とならん』――キレスの、記憶のことかなって……」
その瞬間、キレスがはっと息を詰めた。ケオルはそれに気付かなかった様子で、話を続けている。
「そのときは、『二色』に引っかかって止めたけど、でも――太陽、か。どうかな……」
情報を整理するように視線を宙にめぐらせると、ケオルは、
「――そういえば……、太陽を、“二本の樹の間から”生まれるとすることがあるけど、この……」
言いながらパピルスを指差す。
「『地より伸びゆきし腕』は、樹を表してるんじゃないだろうか」
そのひとことに、場が色めきたった。
「そうか、樹か……なるほど、言われてみれば」
「それでは、この『二色の玉』はやはり……イチジクとブドウということに、なるんでしょうか」
「イチジクとブドウって、確かに二色。違う色だよね。ブドウは、緑っていうか青っていうか。イチジクは、紫っていうか赤っていうか……」
道が見えてきた。まだその先がどこに続いているかは、分からないけれど。やっと、少しでも、進むことができそうだ。ここまで来たのだ、小さな望みにでも賭けてみたい。誰もがそう、考えていた。
何かが見えてくるかもしれないから、とにかく、当たってみようということになり、樹の事ならそれを神号に持つものに尋ねるのが最適と考えるのは当然の流れだった。……が、しかし。
「そんなものは、ない」
シエンの一声が冷たく返される。
まただ……。いったい何があったのか。ふたたび包む不穏な空気。それを払拭するように、ケオルはまるで気に留めていないというようなふりをして食い下がる。
「一応聞くだけ聞いといてくれよ。大地神であるお前の広い視点では、気付かないものが、あるかもしれないだろ」
「聞く必要はない。イチジクやブドウの特殊な樹、そんなものは存在しないと、言っている」
払拭されるどころか、ますます緊迫した状態に陥っていく。それでもまだ、ケオルには笑みを作る余裕があった。
「なんだシエン。地属の長としてのプライドが許さないとでも言うのかよ」
「……あの人を信用できないというだけだ」
思いがけない言葉だった。ケオルは怪訝そうに眉をひそめ、
「なぜ? 樹神キポルオは、お前の従兄だろ?」
「――彼に聞きたいのなら、勝手にすればいい。俺は、協力できない」
言葉を発してから一度も、シエンは目を合わせようとしなかった。どこか気だるそうに、視線を落としてばかりいる――それを、ケオルが射抜くように見下ろす。その拳が強く握られている。
「遅くなりましたから――」一触即発の状態に、カムアが声を張り上げた。「今日は、この辺で。皆さん、お疲れのようですから……明日また、続きを」
止まったままの二人を置いて、椅子を離れ立ち去る音。
「会議は明日の朝、陽が昇りきる頃に、再開します。よろしければ、奥の部屋を自由に使ってください」
神王ラアに続いて部屋を出ようとしたカムアが告げる。その傍らをキレスが無言で通り過ぎ、部屋を出た。シエンは、ケオルの視線を振り払うように立ち上がると、それに続く。
「ああ……私は東にいったん戻る。すまないが……また、明日」
ヤナセはそう言うと、なだめるようにケオルの肩に手を置き、それから立ち去った。
誰もいなくなった会議室に一人たたずむケオルの拳は、いまだ握られたままだった。
作品名:睡蓮の書 二、大地の章 作家名:文目ゆうき