睡蓮の書 二、大地の章
「ああ、ヤナセの言うとおりだ。門は“冥府の門”、この“王”はウシル。明らかに冥界の秘密に関係した節だ。ただし、冥界の“秘密”というからには、まだ明らかにされていないことのほうが多いんだ。これも、例外じゃない。でも、どちらにしても、新しく記された第52節がこれと同じ、冥界に関するものだとしたら――」
「予言じゃないから、あまり考えなくてもいいってこと?」
ラアが壇上から身を乗り出して言った。
「少なくとも、今ここで時間を割いて議論する必要性はないと言えます」
ケオルが振り向いて答えると、この厄介な問題から開放されたという安堵感からか、場の空気が一瞬軽くなった。
ところが……、
「誰の助言を受けたんだ?」
今まで一言も発することのなかったシエンが、低く声を漏らした。
「お前は今、類似のものを探せばいいと“言われた”、と言った。いったい、誰に?」
皆、困惑した様子でシエンを見た。ケオルの友人である彼が、聞くまでもないことを問うている。その口調は、彼らしくない棘のある言い方だった。
「……何が言いたいんだ」
少しむっとしたようにケオルが言った。シエンは顔色ひとつ変えずに、
「お前のことだ、また兄に助言を求めたんだろう。それを、何の疑いも無く信じるのか? 兄というだけで? ――もしこれが予言だとしたら、どうする」
翠緑の瞳が捕らえるように見据えてくる。それに気圧されたのか、ケオルは複雑な表情で息をつくと、
「類似した節を選んだのは、兄貴じゃない。予言じゃないかもしれないというのは、俺の考えだ」そう言ってパピルスに目を落とす。「でも――お前の言うとおり、これを予言でないと断定するのは危険だと、俺も思う」
それから、もう一度皆の顔を見回し、ケオルはそのよく通る声で言った。
「だから一応、予言と考えて、この時間を少し借りたい。皆の意見を、聞きたいんだ。
まず、俺の知ってる限りの情報を出しておく。……この、第52節は『二色の玉』が鍵になると思うんだけど、“二”を示す例自体が、少ないんだ。まずひとつめ」
第2節
古の「四」の主、王を喰らい
その支えの心臓を断ち割かん
王、その肉体をして門となし、
その左右に支えを得ん
「……これ、どこに“二”ってあるんだよ?」
すかさずキレスが突っ込む。
「まあ、可能性ということで出してるんだ。扉の左右、とあるからな。……ただし、これは冥界の秘密に関する節だ。王ウシルが亡くなり、生者の世界と死者の世界を隔てる“冥府の門”が、この神の肉体によって形成されている、ということを示している」
「『二色の玉』という感じではないな」
ヤナセが言った。
「俺もそう思う。じゃあ、次を見てみよう」
第16節
二国におのおの主あれば、
二つの主のもと、二つの名を表さん
「これは“二重の称号”だ。二という点ではこれ以上ないくらいぴったりだけど、この節はこれで完結してるしなあ……。
それから、もう一つが、これ……」
第51節
恵み満ちゆく果てに座するもの、
その支えたる“ルウティ・レクウィ”に負われ
明ける地平より出で来たらん
「これは一つ前の節なんだけど、まだきちんとした解釈を与えられてない。……なにが“二”かというと、ここの『ルウティ・レクウィ』の『ルウティ』にあたる部分だ。二対の獅子を表す言葉なんだが、これが何か、はっきりしていないんだ。獅子といえば、太陽神や、火属を象徴することがあるけど……」
「『明ける地平』ともあるな。太陽神に関する予言とも、考えられるのか? たとえば、“ケセルイムハト”のような――」
「……え? “ケセルイムハト”が、何?」
ヤナセの言葉を拾い上げ、ケオルは顔をしかめる。
「だから、冒頭の“ケセルイムハト”のように、今代の太陽神の力によって戦が終結することを……」
「ちょっと、待ってくれ」ヤナセの言葉を手で制して、ケオルは声を上げる。「冒頭の“ケセルイムハト”がホルアクティ神と関係があるという話。それは、勘違いだ」
その場の空気が一瞬固まった。ヤナセだけでなく、カムアやラアまで、耳を疑うようにケオルを注視する。
それもそのはず、冒頭の一節が太陽神による戦の終結を表しているという考えは、中央では一般的だったのだ。それを「勘違い」の一言で片付けて、納得できるわけがない。
「前から言おうと思ってたんだ、この記録」定例議会の記録を繰りながら、ケオルが溜息をつく。「いつのまにか、冒頭の内容すべてを太陽と結び付けて、“ケセルイムハト”を太陽神の力か何かのように書いているけど……、実際には、この一節はどう考えても“青”の色を強調している。太陽より、天空の青。同時に、水の青。それが“ケセルイムハト”だ」
「何だって……」ヤナセは信じられないというふうに首を振る。「私はながく、この“ケセルイムハト”が太陽神の瞳に象徴される力のことであると、聞かされていた」
「ホルアクティ神の瞳は黒の中の黄金だから、それを示していないことは確かだ。繰り返すけど、“ケセルイムハト”は、青い色だ。何の色かは、分かっていないけど」
「そ、そんな……」 呆然と、カムアがつぶやく。「それじゃあラア……ホルアクティ神の力と、戦の終結とは、無関係だというんですか……?」
それは、特にカムアにとって大きな衝撃だった。カムアはラアの中に強大な、発散する力と共に、引きつける力が同居していると、確かに感じていた。予言書の冒頭“ケセルイムハト”はそれを示しているのだと信じていたから、自身の感覚を否定されたようで、どうしても納得できない。
「そのことで、ホルアクティ神の力と、戦の終結が、無関係だとは言い切れない。ただ、冒頭で予言しているものとは違うということなんだ。……青を連想させるものが、ないからな」
ケオルが言った。カムアはそれでもまだ困惑気味に、ラアを見つめる。ラアは案外平然としていて、目を丸めると、そうだったのかあ、なんて暢気につぶやいていた。
「まあ、話を戻そう」
ケオルはパピルスを指差して、続けた。
「この第51節が、ヤナセの言うように太陽神に関するものだという可能性は、無いわけじゃないと思う。――でも、新しく刻まれた第52節と関連があるかといわれると、ちょっと……」
しばらく皆が、考え込むように下を向いていたが、ふと、
「太陽……――そうか」ヤナセが何かひらめいたように顔を上げ、「この『二色の玉』、お前がさっき言った、天の両目のことだとしたら、どうだ? 今代は、太陽と共に月が現れている。千年来、なかったことだ」
「そういえば、『欠け』や『満ち』も、月を暗示しているようですよね……」
ヤナセの言葉に同意するように、カムアが言った。
「なるほど……――いや、まてよ。太陽には『再び』という言葉を用いないはずだ。ずっと現れているんだからな」
「今代の太陽神は、今までとは違う。このたび成神したことで、欠けていた力も満ちたことだろう。この力について、何も理由がないとは、思えないのだ」
ヤナセが力を込めて言った。ケオルはパピルスに目を落とすと、
作品名:睡蓮の書 二、大地の章 作家名:文目ゆうき