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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 二、大地の章

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 友人の姉、よく知る人物、その死――それ自体よりも、対する自身の感情の淡白さに、キレスはひどくおののいていた。このとき、それまで感じていた自分自身の歪のようなものを認識した。人の死を前にした場合に限らず、自分の中には、かなしみという感情がぽっかりと抜け落ちてしまっているのではないかと。たとえわずかに、それに似た感覚が湧き出しても、決して心を占めることはない。それが、記憶がないせいなのか、月神という特殊な力のせいなのか、それとも別の理由があるのか……。
 もしこの力によるものだとしたら、――淡々と遺体を整える作業をこなすには、必要なものなのかもしれない。同じ月属のカムアはどうだろう。けれどとても同じようには見えない。属長にのみ与えられる特殊な性質だろうか。他に、同じ思いを持つものはいないのだろうか。たとえば二重の称号で、シエンがそうであるように、北にも自分と同じ称号を、力を持つものがいたりしないだろうか……?
 不安を解消する何かを探すように、キレスは参列者を見渡した。誰も彼もみな、涙を流していた。ただ一人の例外は、姉を亡くしたはずのシエンだった。
 シエンは、泣き叫ぶことをしなかった。うつむいたその表情に、悲しみを表しているのでもなかった。しかし彼はキレスとは違って、決して冷静にそれを捉えているのではなかった。ただ憮然と、感情をすべて捨ててしまったかのように、なくした哀しみも、自らを責める苦しみも、そこからは何も見えてこなかっただけなのだ。
 数日経ってキレスが西を訪れたとき、女神たちがシエンのことを、別人のようになったと、おびえる口調でそう話していた。気にはなったが、会わなかった。それからずっと、会っていない。
 関係ない――そう考えようと努めて、キレスはいつものやり方で感情を追い払う。シエンのことも、自身への不安も。そうして、あとから湧き出るものを何とかごまかし、また押し戻すことを、繰り返すしかなかった。……今日この森を訪れたように。
 道なき道を、わざと枝葉を荒く払うようにして音を立て、森を抜ける。そこでキレスは、神殿入口にジョセフィールがいるのを見つけ、思わず足を止めた。
 午前に、いつものように修行という名目で力を使わされたばかりだ。ここでもう少しと、続きをさせられてはたまらない。幸いジョセフィールは階段脇に、背を向けて座り、地面を覗き込むようにしていた。気付かれないうちに通り過ぎようと、キレスは慎重に歩を進める。
 ……しかし努力も空しく、ジョセフィールはあの、ずけずけと厄介ごとを押し付けてくるいつもの笑みを浮かべて、キレスを振り返った。
「今日はもう終りだろ」
 反射的にキレスが声を上げていた。突然で意味が通じるはずもなく、一瞬目を丸めていたジョセフィールだったが、すぐに元の笑みを戻すと、
「修行のことか。……散漫な注意力もなかなか纏まるようになってきたな。私も、いつまでも付き合うわけにはいかない。これ以上伸ばすものもないだろう」
「それって、もう終わりってこと……だよな」
「ああ、そうだ。明日は定例議会だろう、丁度、きりがいい」
 ほ、と胸をなでおろすと、キレスはちらりと、階段脇の地面に目をやった。ジョセフィールは、いったい何を見ていたのだろうかと。
「ははは。いやなに、芽がな」
「……“め”?」
 言われてよく見ると、確かに、白く乾燥した砂地に小さな緑の芽が、ちょこんとひとつ覗いている。
「ペルセアの種をな、植えたのだ。五つあった。この場所に、力を特別に加えることをしないで、水も意図して与えず、そうして、どれだけ芽吹くかと思ってな」
「なんだそれ。賭けでもやってたのかよ」
「賭けか。そうだな……。キポルオは、種の状態を見て、三つほど芽吹くかもしれないと言った。フチアは、この環境が生育に不向きであるから、芽を出すのは無理だろうと言った。……結果は、このとおりだ」
 語るジョセフィールの表情は、まるで子供のような、無邪気な喜びに満ちていた。たまにこういう様子を見せるとき、神殿の元代表だとか、自分やカムアを指導した年長者だとか、威厳あるものとしての彼のイメージとかけ離れているように思えて、その度に、キレスはなんだかむず痒いような、納得いかないような、奇妙な気分になる。
「それで、あんたはいくつに賭けたんだ?」
「私か?」ジョセフィールは笑みの中でひとつ瞬いて見せ、「私は、ただ眺めていただけだ。……いや、そうだな、二人の予想が外れればよいと思っていたかもしれん。では、私の勝ちだな。そういうことにしよう」
 そうしてひとり満足したようにうなずいて、ジョセフィールはまたそこに屈み込むと、小さな芽を眺めていた。
 まったく意味が分からない。ただ種を植えて、芽がいくつ出るだろうかと考え楽しみ、ひとの予想が外れたと喜ぶ。まるで子供の遊びじゃないか。キレスはそこを通り過ぎ、神殿の奥へ向かいながら、この変人に付き合っているキポルオは、よっぽど優しいのだろうと思った。
 キポルオは、今日は部屋から出ていないのだろうか。キレスは中庭を突っ切って、奥の池に向かいながら、自分の部屋の反対側に位置するキポルオの部屋を、少し気にするふうに見遣っていた。
 ちょうどそのとき、部屋の扉が開いた。けれど残念ながら、それはキポルオの部屋ではなかった。
「……あ、キレス」
 中庭を囲む廊下から声をかけたのは、ケオルだった。キレスの顔を見て何か思いついたというように、わざわざ駆け寄ってくる。それをキレスは、歓迎するでもなく、嫌がるでもなく、ただ目で追っていた。
「なんだ、元気そうだな。一ヶ月顔を見せないから、何かあったのかと思った」
 何があったと思ったのだろうか。キレスは斜めから彼の友人を見据えたまま、うんともすんとも返事をしなかった。今は相手をする気分じゃなかったし、放っておけば喋り続けると分かっていた。
「まあ、中央じゃあ顔も出しにくいか。俺も、いろいろ忙しかったし……。でもちょうど良かった。なあ、時間、あるだろ? どうせ明日定例議会だし、今から中央来いよ。ゲームしようぜ」
 案の定、キレスの様子を気にも留めずに続けるケオルを、キレスは胡散臭そうに見つめて、
「……お前、また移動に俺の術を利用しようとしてるだろ」
「まあ、それもあるけど」
「あるのかよ!」
「今無性にゲームしたいんだって。な?」
「何が『な?』だ! 何で俺が付き合わなきゃなんねーんだよ!」
「いや、だって、お前強いし」
 ケオルがなんでもないふうに言い放つので、不意打ちを食らったように、キレスは瞬いた。かなり自分勝手な主張をされたはずなのに、それよりも意外に評価されていることに驚く。こいつはいつも、その言葉で人を貶めたり持ち上げたりして、そのどれもが本当だというような顔をするのだ。
 乗せられるのも癪だと思って、キレスは緩みかけた口元をわざとへの字に結んだ。
「前は断ってきたくせに……」
「なんだお前、拗ねてるのか? それで、ここの所遊びに来なかったのか?」
 実は修行をさせられていたとか、他に理由があったのだが、面倒だったのでキレスは黙っていた。