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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 二、大地の章

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中・疑い・4、姉



 聖杖を支えに、足を半ば引きずるようにして、シエンは朝の森をゆく。
 西ではとっくに陽がその姿を現していたのに、南の森は薄暗い。太陽はまだ東に切り立つ崖の向こうにあるのだ。天はもうすっかり青を広げているのだろう、しかしここからでは見えてこない。重なり合う葉がすっかり覆い隠していたから。
 ――“大地の剣”を探していたのね。
 今朝早く、姉ホリカが部屋にやってきた。東の治癒神が傷の経過を見に訪れ、もう心配ないと診断したすぐ後のことだった。
 ――これが、必要なはずよ。
 ホリカはそう言って、髪を飾っていたあの帯を解き、シエンに差し出した。
(剣だって……?)
 よみがえるイメージ。降り注ぐ少女の鮮血――。
 月の姫を殺めたのは、紛れもなく大地の剣……「ゲブ=トゥムの剣」だった。
 夢から覚めるように意識を戻した後も、まぶたの裏に焼きついたまま離れない、あの瞬間……。
シエンは姉が差し出した飾り帯を拒んだ。受け取ることなど、できるわけがない。
 千年前のイメージ――ただ一点から、動くことなくみつめ続けるそれは、千年前のあの時、その場にあったひとつの樹の記憶に違いなかった。月の姫の血を浴びたその樹は、焼失を免れ、やがて切り倒されて家具の材木とされた。それが、あのテーブルだったのだろう。物や場に残される地の記憶は、時とともに薄らぐものだ。それがこれほど長く残ったのは……この出来事がそれほど衝撃的だったからだろうか……?
 シエンは精霊に届けさせたあの、古い書物の訳に目を通し、彼の見た事実の通りが記されていることを確認した。いずれかの時代に、自分と同じように偶然、あのテーブルから記憶を引き出した地属の血が、あったのだろう。
 その書によると、千年前のこの出来事の直後、生命神がこの地にただひとつの大河を氾濫させ、多くの命を奪い続けるという、あの惨劇を迎える。
 生命神の力の“負”の性質を強調して伝えられてきたこの現象――しかしその“力”を導いたのはおそらく、当時の生命神が固執したという月の姫の、死。
 そう、「ゲブ=トゥムの剣」は、罪の証。
 千年前、月の命を奪い去り、そうして長きにわたる戦のきっかけを生み出した。
(そんなもの――要らない)
 焼け付くような、ねばねばした感情が胸を這い上がる。苦しげに息を吐き、杖で地を打ちまた一歩。
 そうして目を上げると、木々の影の奥に立つ、この森の主の姿を捉える。
 こちらに気付き、キポルオはゆっくりと顔を向ける。しばらく、距離を置いたまま、無言で視線を交わした。
「姉に剣のことを話したのは、あなただろう」
 シエンが声する。しかしキポルオはそれに応える様子もなく、ただ一度シエンの足に目を落とし、それから視線を外そうとした。
「なぜ、俺に剣をとらせようとする……?」
 それを逃さないというように、シエンが続けて声をあげた。
「俺に、何をさせたいんだ。地属の長の象徴である剣――『ゲブ=トゥムの剣』は、いったい……何のためにある」
 キポルオの瞳が、一度ゆっくりと瞬かれる。そうして静かに、彼は口を開いた。
「『ゲブ=トゥムの剣』は、求めるものに真実を開く」
「嘘だ……!」
 叫んでいた。――そうだ、そんな話は嘘だ。あの剣は、真実を開くものであるどころか、すべての元凶だった。剣はその役割どおり人を傷つけ、それが、取り返しのつかない事態を引き起こした。
 いつだって同じだ。剣を手にすれば争うだけ。そうして殺し殺されることを繰り返し、戦は千年もの間続いてきた。――誰も、真実など知らないまま……!
「お前が求める“真実”とは何だ」
 ふいに問いかけたキポルオの言葉に、シエンはわずかに戸惑いを覚える。
(求める“真実”……?)
 真実。ほんとうのこと。……そうだ、知りたいと思っていた。ずっと、求めていた。
 戦の発端を。でも――
「そんなもの……もう……」
 ――知ってしまった。これ以上、何を求めよと言うのか。
 ただ父を、その背を追い続けていた。地属の血を自分に分け与えたその父を、自身の源を追うように。地属の血にかけて、真実を求め、その下に生きるべきと、それは誰に教えられるでもなく知っていた。そして、父もそうしたに違いないと、信じて疑わなかった。
 父は北神だった。その事実は揺るがない。だがまだ希望はあった。戦の発端を求めていたという父は、真実を太陽神側に見出し、それを重んじたのだろうと。そう考えれば、母と繋がり自分たちを残したことも、受け入れることができる。決して間違いではないのだと。――だが、
 そんなはずがないと、知ってしまった。
 なぜなら、太陽神側に伝わるものは偽りであったのだから。真実は、北にこそあったのだから。
 セトが言ったように。――そう、セトが、あの男が言ったように……!
「あなたは、どうして北へ戻らない」
 声色低く、その目でキポルオを捉えたまま、シエンはなお続ける。
「千年前、太陽神が……いや、その母親が、兄である生命神を退け、太陽神を不当に王位に就けたのだと――北ではそう伝えられているはず。そして、それは事実だ。それなのに、なぜあなたはここにいる……?」
 信じられるものを求め尋ねたのではない。そこにあるのは、ただ疑いだった。
 価値観の崩壊――。何もかもが反対だった。北を敵とし嫌悪していた、すべての理由が、こちら側にこそ当てはまる。
 何より……正義を重んじ、母とともにある道を選んだのだと信じていた、父が。利己的な思いを優先させ、仲間を裏切った末、太陽神側にあってはならない血を残したという、事実。
 自分という認識を立てていたすべてが、この身からぼろぼろと剥がれ落ちる。
 借り物で着飾っていた。自分自身は、何も、持っていなかった。
“今まで信じていたものは、なんだったのか”。
 自身の根底にあるはずの、母の愛情すら、何の確証もないことに気づく。……何もかもが、信じられなかった。
 シエンは目の前に立つ長身の男……キポルオ・セベクを見据えた。従兄であり、地属というもの、その性質を教えてくれた、師とも言える人物。……信じていたその存在に対しても、いまや疑念ばかりが湧き上がる。――ここにあることで、彼に何の利がある……? ただ流されるままにあろうとしているのか、それとも――
 何を、企んでいる……?
 淡い逆光のうちにたたずみ、刺すようなシエンの眼差しを正面から受けとめたキポルオは、その目を逸らすことなく、声した。
「過去の“事実”。――それがお前の求めていた“真実”か?」
 シエンは眉をひそめる。“事実”と“真実”、何が違うというのか。
「お前は己を知ろうとしない。目に見える事実ばかりを追うが故、その信念は容易に揺らぐ」 
 シエンははっと息を詰めた。その言葉はまるで胸の内を見透かしているようだ。
 キポルオの瞳は、いつも己の感情を覆い霞ませる影を、今は感じさせない。まっすぐにシエンを捉えてくるそれは、ひとつの信念を灯すように、どこか鋭ささえ見せる。
 そうしてキポルオは、さらにこう告げた。
「己と向き合うことなく、逃げてばかりいる。――お前も、セトも」
「俺は……セトとは、違うっ……」
「同じだ」