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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 二、大地の章

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 けれど、弟のことはまた別だった。
 両親が同じであるはずなのに、まったく性格の違う弟。母は生前、シエンを気に掛けてやってほしいと、自分に何度か話していた。……あの子は、父さんに似ているからと。ひとりで深く思い悩んで、けれど、どれも口に出そうとせず、抱え込んでしまうだろうと。
(本当、母さんの言った通り……)
 だから、怖かった。
 父のように、殺されてしまうのではないかと。
 西で目覚めたとき、弟の様子はどこか、いつもと違っていた。またひとりで、けれど今までにないくらい深いところに、沈み込んでしまっているように感じた。
 どうしようもない不安。どうにもならないと知って、けれど何もせずに居られず、ここに、来ていた。
 弟のことを考えるときは、いつもキポルオを頼っていた。十年前の戦で南へ逃れてから、しばらくして自分は西に戻り、シエンは南に残った。幼い頃を過ごした西よりも、南での生活のほうが長かったから、自分よりもキポルオのほうが、弟をよく知っているような気がしていた。それに、性別や属性が同じ彼のほうが、弟をよく分かるのではないかと思えた。
「意識は……戻ったのか」
「ええ。やっと、今日の昼過ぎに」
 ホリカが肩をすくめて笑うと、キポルオはうなずく代わりにゆっくりと一つ、瞬いて見せた。その変わらぬ表情の中に、ホリカは安堵の色を見たような気がした。
「……聞きたいことがあって」
 切り出してみたものの、こちらに向けられたキポルオの、深い影を重ねたようなその瞳の色に、ホリカはわずかに躊躇した。……シエンの敵は、彼の実の弟。こんなことは、彼に聞くべきではないかもしれない。けれど――他に頼れるものが、彼女にはなかった。意を決して、言葉を続ける。
「大地の剣から身を守る方法を……知りたいのよ。このままじゃ、あの子……」
 言葉でほのめかすだけで、こみ上げる感情。ホリカは震える唇を噛み締める。
 キポルオは気遣うように視線を外すと、それに答えた。
「『ゲブ=トゥムの剣』を破るも、防ぐも、同じ『ゲブ=トゥムの剣』をもってしなければ……不可能だ」
 ホリカの瞳が一度大きく開かれ、絶望の色を見せる。……が、キポルオの言葉は終わっていなかった。
「シエン自身の『ゲブ=トゥムの剣』を、求めることだ」
「シエンの……剣? あの子にも、剣があるというの?」
 キポルオはうなずく代わりに、またゆっくりと瞬いた。
「でも――持っていないわ。あの子、剣なんて持っていないのよ……! どうしてなの……!? どうしたら……」
 ホリカはひどく興奮していた。諦めかけたところに、やっと希望が見えてきた。これを掴むことさえできれば、弟は助かるかもしれない。決して離さないようにと必死で手を伸ばす――けれども、どうすれば掴めるのか分からない。もどかしさが言葉を詰まらせた。
「剣は、その核となるものを聖域に掲げることで、求められる」
 キポルオは淡々と、変わらぬ冷静さをもってホリカに答えた。
「“核”……? それは一体どこに……」
「核となるのは――同属の親から得られた、肉体の構成物」
「同属の、親……ですって……?」
 シエンにとってそれは、父親のことだ。
 父親の肉体を構成したもの……そんなものが、残っているはずもない。もう二十年近く前に亡くなったのだ。人間界で亡くなったとは聞いたが、その場所が特定できたところで、何かを遺している可能性はゼロに近い。人間とは違い、神の肉体はほんの一年さえも無条件に遺されるものではないのだから。
 途端に、見えていた光が塞がれる。胸の前であわせた手が、小刻みに震えだす。
「父のものなんて……そんなもの……」
 うつむき覆う黒髪の向こうから、弱々しい声が漏れる。そんなもの、あるはずがない――
「地属の聖域に――」
 キポルオがふいに、言葉をつむぐ。ホリカは顔を上げ、キポルオにその意味を求める。彼は神殿の入り口、幅広の階段の傍らに立ち、いつものように、森の深い緑をその瞳に映していた。
「他の属性が入り込んだ。……それを可能にした何かが、あるはずだ」
 はっとした。確かにそうだ。今まで気づかなかったけれど、とホリカは思った。
 キポルオの言葉は、あの夜――聖域で倒れたシエンを、ホリカが助け出したことを指していた。どの聖域も、他属性のものを受け入れるなど、普通にはありえないことだ。
 いったい、なぜ、どうやって、入ることができたのか――。
(あの時は、弟を助けようと必死で、何も考えられなかったけれど……)
 キポルオはゆっくりと、森の木々の生み出す深い緑の影へと向かう。ホリカに背を向け歩きながら、彼は独り言のように、ある出来事を、話して聞かせた。
「先の大地神であった私の父は、お前たちの父を討つため人間界へ降り……その剣を血に染め戻った。そこで征伐の証を求められ、父はもう一度、人間界に向かった。再び戻った父は、しかしその手に人を連想させるものは何一つ持たず、ただ茜草をひと束、握っていた」
 その背をみつめ、耳を傾けていたホリカははじめ、その話が自身の父に関することとは分かっても、何を目的に語られているのか、見当がつかなかった。ただ、茜という言葉が心に絡まり、もうあと一歩、そこに何かが、見えそうな気がしていた。
 キポルオは深い緑の影の下で、ゆっくりとホリカを振り返り、最後にこう加えた。
「地属に限らず、神々はその意志で死を決する時、己の姿を神位にふさわしいものに変えることができるという。お前たちの父の神号は私と同じ『樹神セベク』――緑豊かなる木々と植物の主」
 ……光が、開いた。
 それは大きく見開かれたホリカの瞳に、まっすぐに降り注ぐ。
 ――ホリカ、これは父さんの形見なの。あなたは私と父さんの子。強く生きて……シエンを、守ってあげてね――
 その指が頭部に伸ばされ、髪を飾る帯に触れる。
 濃い黄色と鮮やかな赤の色をした、茜染めで得られた糸を織り込んだ、“父の形見”。
 死を意識した父は、その身を茜草に変え、母がそれを、ここに遺してくれた。
 茜から得た染料は、父の肉体をめぐる血と同じ。それを身につけていたからこそ、風属である自分が、地属の聖域に立ち入れたに違いない。
 きっとあの時、弟の身の危険を知らせてくれたのも、亡き両親の意思――。
(きっと、こうなることが分かっていたのね……)
 飾り帯を解き、その手に握り締める。
(父さん、母さん……どうか力を貸して――)