海の向こうから
港湾施設の近くを散策すると明らかに外国人と思われる、目の青い金髪の大きな男の人が歩いている。そして彼らは英語とは違う外国語を話しているのを聞いて、イリーナさんはその中でも話を聞いてくれそうな年配の男の人とまだ若い男の人の二人組に声をかけると、言葉が同じのようでニッコリ笑ってくれた。
「この方は親子で船員をしてるそうデス」
「ニコライです」
「アレクサンドルです」
二人と握手をしたあと、私は早速持っていたレコードを出して見せた。
「カイノハマって歌を知ってますか?」
「カイノハマ……?」
二人は首を横に振った。やっぱりピンと来ないみたいだ。
「レコードということは古い歌だね?」
「ソ連時代の歌ならあまり種類はなかったから、聞けば思い出すかも」
「フレーズだけでも聞かせてくれないか?」
二人のやり取りをイリーナさんを通して聞いて、今度はプレーヤーを出し二人の耳にイヤホンを当てて、途切れ途切れの歌を流してみせた。私たちには音が聞こえないが、ニコライさんがあご髭をくりくりしながら頷き出して、アレクサンドルさんに何か言うと、アレクサンドルさんも大きな目をあけて「オーゥ」と言って微笑んだ。
「何か分かったんですか?」
二人の表情を見て手応えアリと思った私は、わくわくして言葉の壁を忘れて問いかけた。
「ああ、これはサハロフ・ミシューチンの声だ」
どうだと言わんばかりの顔をする親子だけど、私には初めて聞く名前だ。
「サハロフ・ミシューチン?先生、知ってる?」
「いや……、さすがに僕も」
「有名な歌手です」
「昔から世界で歌っていた人なんだがね」
すかさずイリーナさんが間に入ってくれた。だけど、その人がどれだけ有名ななのかは今一つピンと来なかった。
「で、そのサハロフさんの何という歌ですか?」
お父さんのニコライさんは首をかしげたけど、息子のアレクサンドルさんは指一本を立てて
「それなら『おお、国家よ』の歌じゃないかな?」
と答えると、ニコライさんの中で何かが繋がった
「ああ、お前が学校で習ったやつじゃないか?」
「そう、思い出した。僕らの年頃の者ならみんな知っているぞ」
「ああ、それなら私も聞いたことありマス。でも、ちょっと古い歌デスね」
親子の会話にイリーナさんが入ると3人は色々と話が弾んでいた。ただ、私と先生、そしておじいちゃんは言葉がわからず全くちんぷんかんぷんでその様子を見るだけだで、一通りの話が途切れるとイリーナさんは謝りながら説明をしてくれた。
「なんでイリーナさんは分からなかったの?」
「ソ連時代の歌だから、政治色が強かったんだろうね」
「彼女はソ連崩壊後に教育を受けているから知らないんじゃろう」
私が首を傾げるとイリーナさんよりも先に先生とおじいちゃんがそっと答えてくれた。当時のソビエトは学校の教育も徹底されていたので、おそらくアレクサンドルさんの世代の人なら大概の人が知ってるだろうとのことだ。
同じ場所、同じ言葉の人でも出身「国」が違っている。さらには受けた教育が違うとこれだけ知っていることに違いが出るのか、私にはそれが分からず不思議な感じがした。
私はおじさんたちがもう一度唄う『おお、国家よ』を聞きつつ『カイノハマ』と書かれたレコードの歌をダブらせた。
断片的ではあるけどメロディだけでなく音の切れるタイミングが同じだ。所々のフレーズ、確かにこの歌っぽい。だけどレコードから流れるその歌と、私が知っているわずかな歌詞の発音とは明らかに違うところがある。
「みんなが連呼する唄うナーなんとかのところだけど、私にはミーなんとかに聞こえるんだけど」
「うん、確かに僕もそう聞こえる。これってどんな内容の歌詞なの?」
せっかく前進したと思いつつ指摘することはどうかと思っていたけど思い切って話してよかった。先生も同じように疑問に感じたようだ。私と先生は揃ってイリーナさんの顔を見て質問してみた。
「うーん、それはワカラナイです。ただ、歌詞の内容は
「国家のために力を一つにしよう」 とか
「労働者を奮い立たせよう」
といった内容です。レコードの歌は二番なのでしょうか?」
「この歌は二番はないぞ」
横から聞いていたアレクサンドルさんが答えてくれた。
「とにかく、二人の話からこの歌は『おお、国家よ』で間違いないみたいです」
私たちはニコライさん親子にお礼を言うと、二人はもう一度歌いながら港の方へ歩いていった。聞けば聞くほど確かに歌はこの歌のようだ。だけど、「カイノハマ」を繋げる鍵はどこにもなかった。
* * *
陽も暮れかかっているので、ここでの調査を終えることにした。帰りの車の中で、私たちは今日判明したことをおさらいした。
この曲は、当時のソビエトで歌われた『おお、国家よ』という歌のようだ。歌っているのはサハロフ・ミシューチンというソビエトでは有名な歌手。だけど、合っているのは声とメロディだけで歌詞は違っている。そしてレコードに書いている『カイノハマ』とつなげるものがない。
結論で言えば、謎は解決とはいかなかったということだ。
「まあまあ、行ってみて良かったじゃないか」
「そうデスよ。行く前と比べてヒントがいっぱい見つかりましたよ」
先生とイリーナさんは進展があったことを喜んでいる。私的にはここで解決といきたかったのだけど、
「麻衣子、焦ってちゃあ大事なものを見落とすぞ」
と最後におじいちゃんの言われて、気持ちが少し軽くなった。私は膝の上に置いたジャケットを見つめた。みんなの知恵がなかったらこれはただの漂流物として捨てられたかもしれなかったのだから。窓から見えるトンネルのライトを追いかけながら思い込みと結果を急いで私はここにいる人たちの協力に感謝しなかった自分に黙って喝を入れた――。