睡蓮の書 一、太陽の章
けれど、その瞳の様子は、明らかに普段と違っていた。焦点の合わない目。ぼんやりと開かれたそれは、瞳孔が小さく絞られ、それを囲む光彩の色が明らかに淡く、まるで白目が溶け出したかのように、異様な印象を与える。
「母さま、目が」
娘は震える声で訴えた。
「目が見えないのね?」
カナスの問いかけにうなずく。
あの大蛇は、北神が寄越したのに違いなかった。
太陽神に反する神々を率いる北の主神、「生命神ハピ」は、姿なきものに形を与え、自在に操る術に長けていると聞く。
最近、人間界が北の力で荒らされていると感じていたが、おそらくあの大蛇……そうでなくても、同種の存在によるものだろう。しかし、
(これはいったい……)
カナスはもう一度、ソークの様子を映す。
この少女が叫びをあげる直前に、何かが一瞬、光を放った。そして、カナスが刺し貫いた大蛇の左目は、なぜだか、それ自体が光りを生んではいなかったか。
ソークの目に見られる状態変化は、カナスの知らないものではなかった。
それは同属「火属」の上位にあたる神、「輝神ヘル」にしか扱うことのできない、特殊な術のはず。
(でも、『輝神ヘル』は)
「カナスさま、娘の目は、治るでしょうか」
その言葉に、カナスは立ち上がった。
「すぐに戻りましょう」
なぜあの術が北神の創造物に扱えたのか。その理由はわからなかったが、はっきりとしていることがひとつだけある。
中央神殿にいるヒキイになら、この術が解けるということ。
「輝神ヘル」である、ヒキイになら――。
アスがソークを抱え、その加護に感謝を述べる人間たちに別れを告げると、カナスは足早に南へ向かった。
まずはこの人間界を出なければならない。南の神殿へ通じる道は、ここをもう少し離れたところにある。
気が急いた。あの化け物を倒したというのに、霧のように漂う砂が晴れない。
いやな予感がする。
焦りを感じ、アスとソークを何度も振り返る。――あともう少し、早くしなくては。
そのもう少しというところまできて、カナスの不安は的中した。
アスたちの背後で、漂う砂が一点に集い、渦を巻く。
その位置に、強大な力の気配。
あの大蛇など比にならないほどの、大いなる力。それは、神のものに違いなかった。
ほとんど反射的に、カナスはその手の黄金を強く握る。
気配を収めずに、それどころかまるで誇示するように表すそれは、その主の好戦的な性質を物語っていた。
二人の女神に駆け寄り、その背後を守るように、カナスは槍を構える。
しかし、そんなカナスをあざ笑うかのように、先を急ぐアスたちの前に突如、砂の柱が立ち上がった。
カナスが振り向く間にも、巨大な柱は幾本も突き上がり、その道を塞ぐ。
天をも突く勢いでそびえ立つ砂の柱は、ついにカナスたちをぐるりと囲い込んでしまった。
「ククク」
低い声。
砂の渦が引くと、そこから見慣れぬ男が姿を現した。
「?太陽の雌獅子?か」
片端を持ち上げるようにして笑んだその口元。
カナスは初めて目にする北神を、強い警戒をもって捉えていた。
作品名:睡蓮の書 一、太陽の章 作家名:文目ゆうき