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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 一、太陽の章

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 信じられない光景。この十年、一度も意識を戻すことのなかった姉が、なぜこんなところに……?
 ラアの姉は、ゆっくりとポーチの影を出て、一歩一歩、おぼつかない足取りで池のそばへと向かう。
 ラアは困惑していた。あるはずのないことが、目の前で起こっている。
 戸惑いながら、ラアはどこかもやもやするものを感じていた。前庭で捉えたものは、姉の気配ではなかったのだ。
 注意深く辺りを見回すと、ふと、岸際に浮かぶ一輪の白い睡蓮に気づいた。胸の奥から染み出る違和感――こんなところに睡蓮の花など、あったろうか――?
 姉がゆっくりと、その睡蓮を覗き込むように、岸辺にかがみこむ。……と、その時だった。風もなく花弁が揺れ、白く花開く睡蓮の上に、小さな少女の姿が浮かび上がった。
 人の姿をしているが、人ほどの大きさはない。水面に、その姿は映らない。
(あれは……精霊?)
 ラアがみつめるその前で、精霊の小さな白い指先が、姉へと伸ばされる。すると姉は同じように腕を伸ばし、小さなその精霊の、赤子ほどの指に触れる――と、
 ゆらゆらと、炎のように揺れる白の帯が、幾重にも現れて姉を包み、姉はその姿を、目の前の精霊と同じような幻に変えて……、ついに、その姿を消し去った。
「……姉さん!」
 ラアが声を上げ、駆け出した。そこにひとり残った睡蓮の精霊が、びくりと反応し、駆け寄るラアをみつめる。
 ラアは姉のいた、今はもう何もないその場所を、存在の痕跡を探るように両手で地を撫で、池の底深くまで、気配を求めた。――いない。神殿内部のどこにも。あれが幻であったなら、奥の離れ屋に姉はいるはずだ。……けれど、そこにももちろん、いない。
「――姉さんは?」
 ラアは精霊に尋ねる。精霊は、まるく大きな瞳を見開き、ラアを見上げたまま、ひとつ、瞬いた。
 そして、その小さな唇がわずかに開かれる。じっとラアをみつめる瞳。少女はまるで何か訴えようとするように、首を伸ばす。
 ラアは精霊の様子をうかがう。――何を、伝えようとしているのだろう? 精霊は言葉を話さない。そのはずだ。しかしこの精霊は小さな唇を、音もなく、動かしたのだ。
「え、なんて言ってるの……?」
 ラアが尋ねると、精霊は、次にはふたつ、瞬いた。
 そうして、その小さな両腕をラアへと伸ばす。まるで抱っこをせがむ子供のように。
「ラア、危険です……!」
 カムアが警戒を促す。――ただの精霊とは思えない。もしもラアが、その腕に触れてしまったら……。
 しかし、ラアは聞こえなかったのか、ゆっくりと、彼の腕を精霊へと伸ばした。
「ラア!!」
 カムアが駆ける。ラアと精霊を、白い帯状の光が包む。
 そうして……、引き戻そうと伸ばされたカムアの腕はむなしく宙を掻き、ラアの姿は精霊と共に消え失せた。
 薄闇の中、池にはカムアの衣の白だけがぼんやりと映る。
 睡蓮の花など、もうどこにも見当たらなかった。