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文目ゆうき
文目ゆうき
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睡蓮の書 一、太陽の章

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「やっぱり、カムア知ってたんだ! おれ、それを知ったの、ちょうど一ヶ月前だよ。……会えてたら、もっと早く話せたのに」
 ラアはわざと、すねたように言ってみた。表情をころころ変えて話すのも、ひと月前とちっとも変わっていない。
「それなら、僕だって。ラアが何度も話してくれた、ヒキイさんに会って。ラアに話したいって、ずっと思って……」
「え、そうなの!? なあんだ、最近よく出かけると思ったら、カムアのとこに行ってたのかあ。それならそうと、ヒキイも教えてくれればいいのに!」
 ラアはわざと声を上げて言う。けれど、なぜだかカムアは顔をうつむかせて、そのまま黙ってしまった。
「あ、そうか。おれたちが友達なの、誰も知らないんだった! ほんとに、うまく騙せちゃったよね!」
 ラアはおかしそうに声を立てて笑う。それでも、カムアは顔を上げなかった。
 どうしたの、と声をかけようと覗き込んで、どきりとする。カムアは唇をかみ締めるようにして、肩を震わせていた。
「ごめんなさい……」
 絞り出すように、カムアは言った。
「補佐になるって話を聞いたとき、もう前みたいにはラアに会えないって思って……だったらもう会わないほうがいいって……。ヒキイさんに会って、ラアが中央に住んでるんだって分かったけれど、今までどうして教えてくれなかったのかって、勝手に、悲しくなってしまって……――僕、ラアが隠さなきゃいけないわけとか、ぜんぜん、想像できなかった……」
 ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
「隠すこと、ラアはきっと、すごく辛かったのに……。そんなことも、分かってなくて……自分勝手な考えで、補佐になることもちゃんと話さなくて……ほんとに、ごめんなさい――」
 ラアは呆然とその言葉を受け止める。なぜ、カムアが涙を流すのか、ラアにはよく分からなかった。ただ、カムアの言葉は無意識に降り積もり、胸をじんわりと締め付ける。
 それは今まで、自分自身が抱いたことのない思いだった。カムアは自分に同調しようとしてくれている。心に寄り添って、言葉にならない思いを汲み取り、必死で、分かろうとしてくれている。自分はこんなふうに、誰かに寄り添おうとしたことがあるだろうか? カムアにさえ、そんな気持ちを抱いたことはない。そう、誰かの思いを必死で知ろうとしたことなど、ラアは一度もなかった。
 その涙は、優しさの雫。優しいものは、拾いあげないと崩れてしまう。これはきっと、守るべきもの。崩れ去ってしまわないように、自分の力で守るもの。
 ――そう、父がしたように。王たる自身のこの力は、そのためにあるはずだ。
 ラアはきゅっとこぶしを握ると、わざと明るく言い放った。
「終わったことなんていいじゃん! もう、戻ることなんてないんだし」
 少し顔を上げたカムアに、あの、猫の目の笑顔を見せつける。
「ねえ、これからのこと考えよう? おれ、今すごくすごく嬉しいんだ! だって夢だったんだ、カムアとずっと一緒にいるって。
 だから、これから。カムアの知ってること、おれ、知りたい。もう、隠すことないから。おれの知ってることも、全部話せるから」
 ラアは知っていた。自身の笑顔が、ひとつの大きな力となりうることを。
 それは引き上げる力。取り込む力。その前にひとは、確かな輝きを見る。
 カムアはそれをまっすぐに受け止めて、ひとつ、こくりとうなずいた。
 ほっと息をついたラアの隣で、カムアは涙をぬぐうと、懐から、布でくるんだ手のひらほどの大きさの容器を取り出した。
 首をかしげて覗き込むラア。カムアは薄桃色をしたアラバスター製の容器のふたをとって見せた。中には白い軟膏が入っている。ラアは思わず、げ、と仰け反る。
「ラアに会ったら、渡そうと思ってたんです。――でも渡しただけじゃ使ってくれそうにないから……」
 カムアはにっこりと微笑んで、逃げ出さないようにラアの腕をつかんだ。
「王ともあろうものが、こんなにかさかさの肌でいてはダメですよ。これから、僕がちゃんとチェックしますからね」
「イヤだってば! ベタベタするのも、きつい匂いも、嫌いって言ったじゃないかあ!」
「そうはいきません。ほら、香油のあとが筋になってるじゃないですか。みっともないですよ!」
 カムアは暴れるラアをひょいひょいとかわして、軟膏を手際よく塗っていく。観念したラアは、抵抗するのをやめて唇を尖らせる。カムアって意外と押しが強い。そう思った。
 皮膚の熱で軟膏が気化し香りを放つ。ところがそれは、ラアが想像していたような、鼻をつくような強い香りとは違った。柑橘系のさわやかな香りのなかに、蜂蜜に似た甘みと、涼しげなミントをあわせ、それらをほんのわずかな針葉樹の香りが引き締める。身体の疲れを吹き飛ばすような、気持ちを元気づけるような、そんな香りに、ラアは膨れ面をすっかり解いて、ぱちぱちと瞬いた。
「僕が作ったんです。こういう香りなら、ラアも大丈夫かと思って」
 カムアが言った。もう一度、香りを胸いっぱい吸い込んで、ラアは元気よくうなずく。
「うん。この香り、おれ大好きだ!」
 カムアといると心地いいのは、きっと、自分のことをよく分かってくれているからだ。ヒキイのように、後ろから大切に大切に支えてくれるのと違って、同じ位置に立って、同じものを見ようとしてくれる。
 これからずっと。彼がいてくれれば、自分はなんでも出来そうだ。そんな気がした。

 いつの間にか日は暮れて、熱された空気にときおり涼しい風が混じるようになった。
 いつもと変わらず他愛もない話をして時を過ごしていた二人は、そろそろ部屋に戻ろうということになり、立ち上がる。
 けれどふと、いつもと違う何かを感じた気がして、ラアは背を向けたばかりの前庭をもう一度、振り向いた。
「どうかしたんですか?」
 カムアがたずねる。なんでもないと言おうとして、止まる。
 ――この感じ、思い違いなんかじゃない。
 ラアは前庭への階段を駆け下りる。はっきりとしない“何か”……、胸の奥がざわめく。
(こっちじゃない……もっと、奥のほうだ)
 南側にそびえる高い周壁と、神殿の建物の間にある、人ひとりがどうにか通れるほどの隙間をのぞく。そうして、伸び放題の雑草をかきわけ、ラアは奥へと進んでいく。
「ラア、何があったんですか!?」
 慌ててカムアがあとに続いた。踏みつけられた草の跡をたどり、足早に進むラアを見失わないようにと急ぐ。
 しばらく行くと、道が開けて、裏庭のようなところに出た。茂る木々の間から見えるその場所は、四角い池をイチジクの木々が囲み、向こうには、女神たちの部屋を備えた建物から張り出したポーチがある。
 ラアはそこが、女神たちのための水浴び場であることを知っていた。男神たちのそれは、中庭を挟んだちょうど反対の北側にある。池は、外を流れる大河より水が引かれており、増水が始まったためか、いつもより少し水位が高い。
 その池の向こう、ポーチの辺りに、白いものがぼんやりと見える。普通に考えれば、そこに現れるのは神殿に住まう女神である。そして実際、ラアのよく知る女神の一人だった。だが――、
「――姉、さ、ん……?」
 目を大きく見開いて、ラアがつぶやいた。