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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 一、太陽の章

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 死んでしまったのだと、思った。
 ひとは死ぬと、その魂《バア》が肉体を離れ、星になるのだという。
 少年カムアは、暗闇と静寂の中、ぼうやりと遠く灯るあまたの星のうちにあるようだった。
 夜ごと見上げていたあの天に、自分はついに、昇ったのだろうと。
(お父さん、お母さん……)
 幽かにまたたくそれらのうち、どれが父や母なのだろう。
 そうして眺めるうち、カムアは知る。それらの中に唯ひとつ、他のどれとも異なる輝きをもつ星の存在を。
 遠く小さく、それは光のもやを纏うようにしてそこにある。
 それは、星なのだろうか?
 光を生んでいるのか、それとも、闇に呑まれているのか。
 今ここに産まれ出たのか、それとも、死に抗っているのか。
 わからない。ただ、目が離せない。
 纏う光はまるで生き物のように、見つめるたび強く、より強く。
 そのまたたきに応じるように、高鳴る鼓動。
 ――それは、吉星か、凶星か。


 カムアは目を覚ます。
 いつもの森の中だった。天から注ぐ木漏れ日のまたたきが、閉じたまぶたに、星のように映っていたのだろうか。
 疲れていた。いつの間にか眠ってしまったのだろう。課題の「術」がなかなかうまくできなくて、今日も繰り返し練習した。何度も何度も……けれどダメだった。そうしてとぼとぼ森を歩くうち、眠ってしまったのだ。
 夢を見ていた。術が成功する夢。
 森のはずれの岩石を、別の場所に移動させる術。それを試そうと、いつもするように目を閉じ念じた。そうして目を開けると、そこに岩石はなく……、地に開いた穴の中から、真っ黒な蛇が顔を出したのだった。
 夢に出てきたその黒蛇は、黒いかさかさのうろこをして、双つの目も真っ黒。それはよく磨かれた黒曜石のように艶やかで、深いふかい、黒だった。
 その黒い目を見ているうちに、カムアは、自分が夜空に包み込まれるような、そんなきもちになって――
「!」
 草擦れの音に振り返る。蛇だ。あの、黒い蛇!
 夢ではなかったのか。少し驚いたふうにまたたいて、カムアはもう一度、蛇の黒い目をみつめた。するとふたたび、夜空にいるようなあの感覚がカムアを襲う。こんなに明るい昼下がりに、けれどまるでほんとうに夜の闇に包まれているかのよう。木々の葉擦れさえも遠く、星々のうちにあって、カムアはまた、あのただひとつの、輝きを捉える。
 そのときふっと、これは蛇の瞳の中なのだ、とおもった。まるで自分が、その中に入り込んでいるように感じた。――そのとき、
「……!?」
 カムアは気づいた。……これは蛇ではない。少年だ。自分と同じ年頃の、小柄な少年。
 焦げ茶の髪をぼさぼさに伸ばしたその少年は、日によく焼けた肌をして、くりくりした丸い目は真っ黒。黒蛇と同じ、奥に金色の輝きが、まるであの星のようにひっそりと煌いているのだった。
「きみは、誰……?」
 カムアはおずおずと声をかける。すると少年は、丸い瞳をいっそう丸くして、
〔見えてる?〕
「見えて……ます」
〔えっ、おれの声、聞こえるの!〕
 そう言うと、次第に少年の姿が確かになり、黒い蛇はもうどこにも見当たらなくなった。
「どうして、分かっちゃったの?」蛇だった少年が、声を上げた。「完璧だと思ったのにな。バレたことなんてないのに」
 軽く唇を尖らせて、くるりとその黒い目を上に向けたかと思うと、また、こちらを向いて笑う。
「……えっと、黒蛇さん……?」
 カムアが首を傾げてたずねると、少年は猫のように目を細め、声を立てて笑った。
「蛇じゃないよ」細めた瞳から金色が微かにこぼれる。「おれは、ラア」
「『ラア』?」
 確かめるように声にすると、ラアは、こくっとうなずいた。
「蛇はね、変身だよ。おれ、得意なんだ。ほら!」
 言うが早いか、たっと地を蹴ったラアは、その姿を今度は隼に変え、森の木々の間をすいと飛行してみせた。立派なこげ茶の翼の裏には、連続した矢尻のような縞模様。
「すごい……!」
 カムアが素直に感嘆の声を漏らすと、ラアはその足元に降り立ち、声を弾ませこう言った。
〔やっぱりその声! きみが、おれを呼んでくれたんだ〕
 カムアはきょとんと目をしばたいたが、ラアはそれにかまわず、
〔おれ、ほんとは神殿の外に出ちゃダメって言われてる。けど、抜け道を見つけたんだ。ひみつの階段の下に、ひみつの魔法陣〕
 その、描かれた「陣」の不思議な力の作用で、ここまで瞬時に移動してきたのだと、声を潜めて話す。
〔でも着いたところは真っ暗で、何もなくて。がっかりしたとき、聞こえたんだ。『こっちだよ』、『一緒においで』って。そうして、道が開いた!〕
 ラアは興奮気味に翼を広げ、言った。
〔きみのおかげだよ!〕
 カムアは首を傾げる。自分は何も声に出していない、ただ石を退けようと――
(あ……っ)
「ねえ」
 耳元で、声がした。ラアはいつの間にか人の姿に戻っている。
 そうしてにっこりと笑うと、彼は右手を差し出した。
「おれたち、友達になろう!」
「とも、だち……?」
「そう!」
 黒い目が、期待をこめてカムアを見つめた。迷いなく真っ直ぐに注がれるまなざし、つややかな黒曜のそれは、自分たちはそのために出会ったのだ、と言葉なく語る。その漆黒に、また、呑まれそうになる――。
 戸惑うカムアの手を、ラアは半ば強引につかむと、ぐっと握りしめた。
「おれたち、今日から、友達!」そして嬉しそうに、つないだ腕を上下に大きくふった。「ね!」
 あたたかい、手。
 満面に浮かべたラアの笑みは、まるで邪気のない、こっちまでうきうきさせるような笑顔だった。

   *

「おれも一緒! おれたちって、よく似てるね!」
 ラアは、同じを見つける名人だった。
 同じ年、同じ境遇。見つけてそのたび、一緒と言って嬉しそうに笑う。違うところがあればまた、違うと言って、面白がって笑うのだ。
 言葉に感情が乗らないことはない。素直に喜び、悔しがり、びっくりしたり、拗ねてみたり、大げさなほどころころと表情を変えるラアの様子に、すっかり圧倒されていた。
 神殿には年上の神々ばかりで、カムアはいつもひとりだった。「ともだち」とは、こんなにも騒がしいものだろうか。
 けれどそれは、胸の奥の重たいものを吹き飛ばす、新しい風が吹き込むような清清しさ。
 こんな気持ちは、初めてだ。
(明日も、ラアと会えるかな)
 この十年、戦でなくした父母のことを思わなかった日があったろうか。
 今カムアの胸は、ラアの話したたくさんの、見たことのないもの、気づかなかったものたちに、すっかりとらわれていた。彼の、楽しくてたまらない、うきうきして仕方がない、そんな様子に、ぐいぐいと引きつけられてやまない。
 ただ、一つだけ、不安があった。
「それはね。ひ、み、つ」
 ラアはときどき、カムアの何気ない問いかけを、はぐらかすことがあったのだ。
「そのほうが面白いでしょ」
 そう言って、あの無邪気な笑みを見せる。
 彼は自分がどの神殿に住んでいるのか、どの神号を得るか、それどころか、自分の属性さえも、教えようとはしなかった。
 ひみつ。その言葉を聞くたび、カムアの胸に湧き上がる黒いかたまり。
(どうして、秘密なんだろう)